クリシュナ神の物語

 バーガヴァタ・プラーナ  第六巻 

第六巻は、第一話から第十九話まであります。

 第六巻第一話
 アジャーミラの物語
 
 パリークシットは問いました。
 『 ニヴリッティの道(この世的活動の停止)は、偉大なあなた様によって、完璧にまで解き明かされました。それに従うなら、その者はブラフマー神とともに、徐々に各段階(火の神の世界など)を越えていき、やがてモークシャをも獲得出来るでしょう。
 またこの世的活動として特徴付けられる道(プラヴリッティ)も、既にお話し頂きました(第三巻で)。そしてその道とは、ああ、尊き聖仙よ、天国や感官の喜びを目標としたものであり、プラクリティから解放されぬジーヴァにとっては、グナにて繰り返し肉体を持つ道でもあるのです。
 そしてアダルマの象徴である様々な地獄の世界も、あなたに語って頂きました。さらにスワーヤンブヴァ・マヌの支配する最初のマンヴァンタラについても詳しく(第四巻で)、またプリヤヴラタ、ウッターナパーダの二人についても、そして彼らの子孫についても語って下さったのです。また全能の主が如何にして、七つのドウィーパや多くの海、山や河、庭園、樹々、それらを創られたのかを、そしてこの地上の配置とそこでの区分、その特徴と広がり、さらに天体や地下世界、そういったものについても教えて下さったのです。
 そこでどうかこの次に、ああ、いとも神聖なる御方よ、この世に生きる人間は、多様な苦しみが待つそれらの地獄から、如何にすれば逃れ得るのか、その方法を、この私に教えて頂きたいのです 』(1〜6)
 
 聖シュカは答えました。
 『 もし人が自分の心と言葉、そして手(身体)で犯した罪を、生きている間に償わなかったとしたなら、疑いもなくその者は死後において、今まで私が説明してきた、恐ろしき苦しみが待つ地獄へ落ちていくでしょう。
 それゆえ人は死の時が自分に来る前に、肉体がまだ損なわれぬうちに、自分の罪の軽重を計り、その罪を償う為の行動を取るべきなのです。あたかもそれは病気の原因を知る医師が、その病いの軽重を判断して、手遅れにならぬうちに適切な治療法を施すのと同じなのです 』(7〜8)
 
 王は言いました。
 『 けれども人は、罪が自分にとって如何に有害かを、実際に見聞きし、それを知ってはいても、自分を制御することが出来ずに、償っても再び同じ罪を犯すものです。そのような状況下にある人間が、一体どうすれば償いが出来るというのでしょう?
 罪から解放されたかと思うと、彼は再び同じことを繰り返します。それゆえ如何なる償いであっても、まるで象の水浴びのように、それは全く実りなきものと思わざるを得ないのです(象は水浴びをしてもすぐに砂を浴びる) 』(9〜10)
 
 聖シュカは答えました。
 『 まことにあなたが言われるように、罪深い行いに対して他の行動(苦行など)をとったとしても、それは根本的な対策にはならないでしょう(肉体を自分と思う限り、人は罪を犯し続ける)。無知な者(肉体を自分と思う者)だけが、そのようなことを良しとするのです。それゆえアートマンの知識(自己実現)こそが、その人 にとっての、真の償いとなってくれるのです(罪の根である無知を吹き払うのは神理を悟ることによるから)。
 健康に良き食べ物だけを口にするなら、彼は病気に罹ることがないでしょう。同じように、よく自己訓練を為す者は、ああ、王よ、徐々に祝福(解脱)を得る資格を与えられていくのです。
 心の集中と自己抑制(ブラフマチャーリヤ。性の制御)、心を自分の支配下に治めて、外的インドリヤ(五官)を制御すること、そして慈善と真実、心と身体の純潔、非暴力の誓い、聖なる誓いの遵守(祈りを唱えるなど)、それらを為すことにより、ダルマの精神に精通した敬虔なその者は、自分の身体や言葉、そして心で犯した、それら如何なる大きな罪であっても、取り除くことが出来るのです。あたかもそれは、火が竹の林を燃やし尽くすのと同じなのです。
 またごく一部の稀なる者は、全ての積み重ねられた罪を、主ヴァースデーヴァに信仰を捧げて、主へのバクティだけによって、あたかも太陽が霧の全てをかき消すように、滅ぼすことが出来るでしょう。
 まことに、ああ、王よ、たえず主の献身者に仕えて、自分の生命を主クリシュナに捧げるほどには、罪人は苦行などの、他の如何なる方法によっても、浄化されることがないのです。
 この世では、このバクティの道が最高なのです。そこにはもはや何の恐れも存在しない為に、それは全く祝福に満たされた道なのです。全ての人に親切であり、主ナーラーヤナを信じる敬虔な者は、全員がこの道を歩むのです。
 もし彼がバガヴァーン・ナーラーヤナに顔を背けるなら、どのような償いであっても、彼を完全には浄化出来ないでしょう。それはあたかも、いくら河が集まったところで、酒の匂いが染みついた容器を清められないのと同じなのです。
 その生涯でただ一度でも主クリシュナの蓮の御足に心を向けたなら、彼の心は主の素晴らしさに魅了されてしまい、夢においてさえ、ヤマや、手に綱を持つヤマの家来を見ることはないでしょう。なぜなら、彼は全ての懺悔を為したと言えるからなのです。(11〜19)
 
 さらにこのことの実例として、よく知る者は次のような言い伝えを話します。その中では、主ヴィシュヌの使者とヤマの家来が互いに会話をするのですが、今からその物語を、あなたにお話ししていきましょう。
 昔、カーニャクブジャ(今のカンナウジャ)の都に、アジャーミラというブラーフマナが住んでいました。彼は下女(召使い階級の女)を愛人として囲っており、そのシュードラの女と関わるうちに次第に堕落していき、やがて全ての敬虔な行い(ブラーフマナの家長に課せられる)を捨ててしまったのです。
 その不敬虔な輩は、強盗や賭博、詐欺や窃盗など、それら非難すべき行いで生きもの達を苦しめて、自分の家族を養っていきました。
 こうして罪深い行為で生活を成り立たせて、そのシュードラの女から生まれた子供達を可愛がるうちに、ああ、王よ、彼の人生の八十八年もの年月が、瞬く間に過ぎていったのです。
 その老人には、その女性から生まれた十人の息子がいましたが、そのうち、彼が「 ナーラーヤナ 」と名付けた一番下の息子は、まだほんの小さな子供であり、それゆえ両親はその子をとても可愛がったのです。
 愛らしく舌足らずに話すその子供に、その老人の心はすっかりつなぎ止められてしまい、子供が遊ぶ様を見ては、非常な喜びをおぼえるのでした。
 自分が何かを食べたり、噛んだりする時には、その愚か者はその子にもそれを食べさせて、自分が水を飲む時にはその子にも飲ませて、愛の思いで自分の心をその子に結びつけていったのです。そのため死が自分の下に訪れてきた時にも、彼はそのことに全く気付かなかったのでした。(20〜26)
 
 このようなことを為し続けて、まさに自分に死が訪れたその瞬間にも、その愚か者はナーラーヤナという、若い自分の息子のことを考えていたのです。
その時アジャーミラは、恐ろしい姿をした三人の男が、顔をしかめて、髪の毛を逆立て、手には縄を持って、自分を捕まえに来たのを眼にしました。それを見た 彼はひどく狼狽えてしまい、離れた所で遊んでいた自分の息子の名前、「 ナーラーヤナ 」を、声を延ばして大きく呼んだのでした。
 死にかけの男が、自分たちの主人(バガヴァーン・ナーラーヤナ)である、祝福に満ちたシュリー・ハリの御名を、大声で無意識に唱えたのを聞くと、ああ、偉大なる王よ、主の従者たちが突然に、急いでその場にやってきたのです。
 下女を囲っていたアジャーミラの心から、ヤマの家来達が魂を引き抜こうとするのを見ると、ヴィシュヌの使者達はそれを無理矢理に押し留めました。
 するとヤマの家来達は、自分達の仕事が中断された為に、彼らに次のように言ったのです。「 ヤマの権威を冒さんとするあなた達は、一体誰なのですか?
 あなた達は誰の代理人であり、またどこから来られて、どうして彼を連れ去るのを止めるのです? あなた方は神々のお一人でしょうか? それとも半神か、またはシッダのうちの偉大な方なのでしょうか?
 あなた方の眼は全員が蓮のようで、黄色の絹の衣を着られて、王冠と耳飾り、そして光り輝く蓮の花輪を、身に飾っておられるではありませんか!
 おまけにあなた方はみなお若くて、四本の美しい腕を持たれて、それらの手には、弓と矢筒、剣、槌矛、法螺貝、円盤、そして蓮を持たれています。
 まばゆき光であたりの闇を吹き消し、全ての灯りを霞ませるように輝くあなた達は、一体どういった理由で、ヤマの家来である私たちを妨げられたのです? 」と 』(27〜36)
 
 聖シュカは続けました。
 『 これを聞くと、主ヴァースデーヴァのしもべ達は心から笑われて、雲に響く雷鳴のような口調で、次のようにヤマの使者達の質問に答えたのです。(37)
 
 ヴィシュヌの使者たちは言いました。
 「 もしあなた方がまことヤマの家来であられるなら、ダルマ(正義)とはいったい如何なるものなのか、またそれを確認するにはどうすべきなのか、どうかそれを私たちに話してください。
 あなた方はどのようにして罰を下されて、また誰がそれに価するのでしょうか? 全ての人間が罰に相応しいのか、それとも、その中の幾人かだけなのでしょうか? 」(38〜39)
 
 ヤマの使者たちは答えました。
 「 ダルマ(正義)とはヴェーダに規定されるものを言い、ヴェーダに反するものが、アダルマ(不正義)と呼ばれるのです。また私たちが聞くところによると、ヴェーダとは、バガヴァーン・ナーラーヤナその人であり、自ら生まれたものだと言われるのです(主の鼻孔から呼吸に伴って自然に出現した)。
 サットヴァとラジャス、そしてタマスから形成される全存在は、その持つ名称と特質、活動、姿、それら全てとともに、主ナーラーヤナによって、主ご自身の中に発生したのです。
 太陽、火、空、大気、インドリヤ、月、朝夕の薄明、昼と夜、四つの方位、水、大地、時、ダルマ、これらの全ては、ジーヴァが為す行動の目撃者なのです。
これらの証人に確認された不正義こそが、相応しき処罰の対象となるのです。そして行為者はその罪深き行いに応じて、全てその罰を受けることになるでしょう。
 人は自らの行動の自由を与えられており、善の行動も、悪の行動も、ともに行うことが出来るでしょう。なぜなら肉の身を持つ者は、常に三グナに関連付けられる為に、ああ、罪なき人よ、彼が行為なしで済むことはあり得ないからです。
 この世において徳のある、又は罪深き行為を行った者は、その結果を、あの世でただ一人、それが為されたのと同じあり方で、また同じ程度に刈り取ることになるのです。
 神々の中の宝たる方々よ、この世には三種の生き物が存在することから(前世にてそれらに相当する生き方をしたゆえ、善なるもの、邪悪なるもの、その中間のものに分かれる)、彼らは三グナの配分の多様性により、それに対応する三種の結果を、あの世で刈り取ることが予測されるでしょう。
 さらに現在の季節の様子は、過去と未来の同じ季節の様子を示唆するように、その人の現在の生き方は、その人の過去と未来での人生における功徳と罪をも、また表していると言えるのです。
 もう一人のブラフマー神でもあられる、私たちの主人のヤマ(閻魔大王)は、ご自身の都サムヤマニーに居られながらも、死んだ魂の生存時での状態(善と悪)と未来の運命の両者を、心の中ではっきりと見ることが出来るのです。
 夢を見る者は、その夢の中の身体を自分と考え、夢を見る前の、または夢から覚めた後の身体を、少しも自分とは思わないでしょう。同じように、愚かなジーヴァも、過去の転生の記憶を全て失い、精神と肉体の有機体を自分と考え、それに先立つ、又は続くであろう存在については、全く知ることがないのです。
 ジーヴァはそれ自体が十七番目の原理を構成しており(微細身を構成する十六種の原理の上に立つものとして)、五つの行為器官を通してそれらの機能を果たさせて、五つの知覚器官によって知覚の対象を知覚し、十六番目の原理(心)を用いることで、知覚器官と行為器官、そして心という、三種の対象を経験するでしょう。
 これら十六の部分からなる、よく知られた微細身は、それは三種のグナの産物であり、また非常に確固としたもので、喜怒哀楽の原因となるサンサーラを、ジーヴァに幾度も繰り返させるものなのです。
 無知なジーヴァは、心と感覚を制御することが出来ずに、微細身に動かされるがままに、意思せずとも行為を繰り返してしまい、カルマの網に覆われていくのです。あたかもそれは、蚕が繭の中に自分を包み込み、そこから抜け出せなくなるのと同じなのです。
 まことに誰であっても、また一時として、行為を止めることは出来ません。なぜなら全ての人は、かつて自分が為した行為印象に動かされて、意に反して行為させられてしまうからです。
 この(微細な身体と粗大な身体からなる)精神と肉体の有機体は、子宮(母)を通して、または種(父)を通して、過去の行為の功徳と罪により、避けがたきジーヴァの性向に従って、形成されることになるでしょう。
 この魂の堕落は、プラクリティと結合することで引き起こされ、神への信仰が確立することで、終息を迎えるでしょう。(40〜55)
 
 かつてこの者(アジャーミラ)は学識もあり、心優しく、また行いも善良であり、多くの美徳を持った者でした。また礼拝や祈りなどの誓戒を立派に果たして、自分の感官をよく制御し、優雅さを持ち合わせた、真実で、聖なる祭式にも通じた、まことに純粋な者だったのです。
 また彼は祭火を崇めて、教師や来客、年長者達にも心から仕えて、全ての生き物にとっての友人だったのです。さらに自己本位な心を少しも持たずに、敬虔でかつ寡黙であり、人のあら探しもしなかったのでした。
 そんなある時、彼は父の言いつけによって森へ出かけていき、その森から、果物や花、祭火の薪、クシャ草などを集めて帰る途中、好色で恥知らずの、ひどく不品行な一人のシュードラが、トウモロコシから蒸留したきつい酒を飲みながら、同じ階級の淫らな女性と戯れているのを眼にしたのでした。その女性は酔っていたばかりか、眼は陶酔にて虚ろとなり、腰の衣がはだけて、半分裸のようにして男の横に立ち、男と一緒に歌い騒いでいたのでした。
 性的興奮を起こす香料を体中に塗った、シュードラの腕に抱かれたその女性を見るや、この男(アジャーミラ)は激しい欲情に駆られてしまい、ただちに愛の矢に屈服してしまったのです。
 彼は理性と学修によって、何とか自分の心を制御しようと努めました。けれども愛の思いに心をかき乱された彼は、全くそうすることが出来なかったのです。
 その淫らな女性を見たことにより、彼は愛の悪魔に取り憑かれてしまい、もはや心から理性は奪われていったのでした。そして彼女のことだけを考えるようになった彼は、徐々に宗教的義務の道を逸脱していったのでした。
 彼は父から譲り受けた財産をすべて使って、彼女が喜ぶようにと、様々な俗世間的なものを与えて、彼女だけを満足させました。
 彼の正妻は、彼の高貴な家柄を考慮して、その父から与えられた、ブラーフマナ階級の女性でした。しかし彼女はまだ若さの真っ盛だったにも関わらず、淫らな女性の流し眼に判断力を奪われたこの罪深き男は、しばらくするとその妻を棄ててしまったのでした。
 そうするうちに、全財産をこの女に費やしたこの愚かな男は、正当な、または卑劣な方法で、あちこちからお金を集めて周り、彼女と生まれてきた子供達を養っていったのです。
 この者は聖典を冒涜して、自分の意のままに振る舞い、立派な者から非難される罪深い生活を送ってきました。またあの淫らな女が触れて穢れた食事を摂るなどと、まことに長きに渡って、不浄な状態で暮らしてきました。それゆえ私たちは、自分のしたことを悔いることなきこの罪人を、ヤマの前へ引き立てていくのです。そしてその世界で罰を受けることで、彼は自分の罪を清められることでしょう 」と 』(56〜68)
 
 

(第六巻第一話の終わり)

注1 聖典によると、性の抑制は以下の八種の性交を避けることにあるとされる。
@性交を思い浮かべる。Aそれを示唆する言葉を語る。B女性といちゃつく。C女性を好色な眼で見る。D女性と二人きりで会話する。E女性と性交渉を持とうと考える。F性交を為そうと決心する。G実際に性交を為す。

 校正終了

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