クリシュナとラーダー
 

「バーガヴァタ・プラーナ」編集日記

1月28日
 現在、第十一巻第二十八話を翻訳中。
 暇人ではなくて、朝から晩まで仕事してるんです。正確には、夕方までかナ?
 あと二週間くらいですべて終わりそう。

 

2月5日 ああ、本日、翻訳終了!
 原稿用紙にて数えると、… … … 約5000枚!うぉおおおお!

最後の文章を載せておきます。

我々は、かの純粋で、穢れ一つない、祝福に満たされた、悲しみなき、不滅で最高の実在を、心に深く瞑想する。比類無きこの智慧の灯火は、創造の夜明けになるや、その御方からブラフマー神に点されて、さらにその神を通して神仙ナーラダに、彼を通して聖仙クリシュナ(ヴィヤーサ)に、そしてその方を通してヨギーの最高者(シュカ)に、さらに神仙シュカを通して、主に愛される者(パリークシット)に伝えられたのだった。
全ての存在の目撃者である、名高き主ヴァースデーヴァに、どうかいつまでも栄えありますように! 解放(モークシャ)を望むブラフマー神に、慈悲心ゆえにこのプラーナを教えられた御方よ!
ああ、ヨギーの最高者である、神仙シュカよ、ブラフマンを身に顕された御方よ、サンサーラという恐ろしき蛇に噛まれた、ヴィシュヌラータ(パリークシット)を救われた御方よ、どうかあなたに栄えありますように!
ああ、全能の主よ、神々の上にまします最高者よ、どうか私達が幾度この世に生まれてこようと、必ず私達の心に、あなたの御足への信仰が育ちますように! なぜなら、ああ、主よ、あなただけが我々の守護者だからです!
その御名を唱えたなら、全ての罪が滅ぼされて、ひれ伏して礼拝を捧げたなら、全ての苦難を除いてくださる、至上の主であるシュリー・ハリに、我々は心から礼を捧げるでしょう!


第十巻から第十二巻までのピックアップはそのうち掲載しますので、よろしく。

第二巻まで、第一回目の校正を終わりました。
たぶん、少なくとも四回は校正するでしょう。

2月13日

訳を終えての感想。
 プラーナというから、神話かと思っていたら、もちろん神話なのですが、予想外に哲学的というか、思想的というか、ヒンドゥー教の教えが全編にわたって散りばめられてあり、意外でありました。
 特に、サーンキヤ哲学やら、ヨーガやら、ギーターやら、面食らった私は、あちこち本を読んで勉強しまくったのです。
 それから、讃美歌がとにかく多い。あちこちで、聖者達が歌われて、その中に神理が語られているのです。
 とにかく、ほとんどの小説における、要素という要素が密集しています。
 明らかに、プラーナの目的とする、一般大衆に神の教えをわかりやすく伝える、そのために作られた聖典であると考えられます。
 と言うわけで、おそらく始めから終わりまで順番に読んでいけば、ヒンドゥー教について、またはインド哲学について全く知らない人でも、第十二巻の終了までには、理解できるのではないかと思います。
 もちろん、読んだ人の心には、クリシュナの姿が焼き付いてしまうでしょう。
 

3月20日

 第四巻まで、校正終了。
第一巻のあたりと、第十二巻の方では、訳する時の言葉の選び方がかなり変わっていったので、合わせるのに大変でした。
本日、「シュリーマド・バーガヴァタの栄光」の校正版をアップしておきます。

4月15日

namasteさん、どうもご感想をありがとうございます。装丁ですが、むしろ気軽に読んでいただけるようにと、あのような明るい感じにしたのです。値段も、かなり手頃となっているかと思います。
バーガヴァタプラーナでの装丁は、まだ考えていませんが、おそらく中央に細密画を一枚入れる感じになるかと思います。
今度は聖典になりますので、仰るように少し重厚な感じにしようかと思います。
一冊一万円でも買っていただけるとは、誠に光栄です。
しかしながら、おそらく二千五百円か、ないしは三千円を超えるくらいに押さえるつもりですので、よろしく。

5月7日

 第七巻まで一回目校正終了。
固有名詞の記載が難しい。たとえば、ヴィシュヌの乗り物である鳥のガルダなんかを、ガルダとは書かずに、タールクシャの息子、と書いてある。このタールクシャというのも、実は別の聖仙(カシュヤパ)の異名なのです。
その他、有名なところでは、ヴィシュヌ、ブラフマー、シヴァなどという神様も、様々な呼び名で書いてあります。
ヴィシュヌなんて、千の名前があると言われているのです(ヴィシュヌサハスラナーム)。
しかし、その呼び名で書いてあるというのは、やはり文章の流れからは大いに意味があるので、無視するわけにはいかないのです。

6月15日

少し遅れ気味に八巻まで校正終了。
なるべく翻訳っぽい文章を回避しています。あれって、読みにくいことおびただしいものがありますから。
その時点で、本を投げ出したくなります。
上巻は、少し遅れるかも…。
そしてひょっとすると、四巻になるかも知れない。
サイトのデザインを変更しました。
しかし、アメリカやインド、ギリシャ、スペイン、オランダなどからのアクセスがあるが、いったい誰が見ているんでしょうか?

6月24日

やっぱり、四巻に分けるような気がします。というのは、三分冊だと、一冊が千ページを越えることになり、物理的に無理が加わり、かえって見にくいと思われるからです。第十巻を二つに分断するのは少し抵抗があったけれども、これも致し方のないことでしょう。
話は変わりますが、ラクシュミー様は、訳していると、非常に可愛らしい女性です。美と繁栄の女神でありますが、母親となられていても、何となく、とても可愛らしいのです。
ブラフマー神は、やはり、長老なのです。おじいさんで、誰からも頼られる、全宇宙の父なのです。
インドラ神は、武勇神です。時に荒々しく、悪を成敗されるのです。
シヴァ神は、うーむ、難しい。破壊の神であり、慈悲の神であり、亡霊の主なのです。ヴェーダに反する道を歩きながら、背後から、ヴェーダを保護されているのです。
台詞を書いていると、その人物の中に没入できるので、これはなかなか楽しい、普通の人には経験できない体験です。

8月8日

 ヨギ志望様、ご購入ありがとうございます。
大学生という自由な立場にあられることをうらやましく思います。バーガヴァタプラーナ出版の際は是非ともよろしく。

10月15日

Y.K.様、S.S.様。
お問い合わせありがとうございます。
発刊に関しては、予定を変更して、上巻、中巻、下巻の三巻に分冊として、ページ構成は、上と下の二段に分けることとしました。
上巻の発売日はまだ決まっていませんが、予定がずれて、来年の2月になるかと思います。
中巻以降は未定です。

10月21日

とける様、N市図書館様。
詳しい発売状況については、後日ホームページに載せますので、よろしくお願いします。
図書館関係においては、図書館流通センター(TRC)を通じて、情報が流れると思いますので、よろしくお願いします。
なお、ウッダヴァ・ギーターのお問い合わせが他にもいくつかありますが、それは十一巻に含まれるものです。
バーガヴァタ・プラーナは、マハーバーラタや他のプラーナ文献に比して、ほとんど横道に逸れることなく、ほぼ一貫して、整然としたストーリー展開を持ち、物語構成的にも、非常に綿密に練られています。
第十巻になって初めて、クリシュナが人間として降誕されますが、そのことには、それなりの意味があるようです。
西欧諸国においては、第十巻だけを訳したものもあるようですが、それはクリシュナの神性について、誤解を与えるものであると、そのように見なされています。
また、ウッダヴァ・ギーターは、それまでの総括として、クリシュナが死の前に説かれることとなっています。

近いうちに、十一巻の一部だけアップするかもしれませんので、またご覧下さい。

11月13日

第十一巻第二十二話をアップしましたので。

12月5日

Hisoka 様。
ご声援ありがとうございます。
サンスクリット原典はどうもジンクスがありますので、私はこの「バーガヴァタ・プラーナ」で止めておくのが無難かと思います。
 
芝様。
ミラバイ訳詩集の購入、どうもありがとうございます。
私自身も、文献、書籍、絵画、CDその他、ほとんどがインドで買ったか、海外のサイトから購入した物です。
日本で買うと高価ですので、外国から買われると安く手にはいるかと思います。
クレジット・カードに関しても、むしろ海外の方が、ペナルティが大きいため、安全かと思います。
ちなみに私自身、一回も欺されたりしたことはありません。

S.s.様。
特に予約しなくとも、紀伊国屋やアマゾンなどで手に入ると思います。

よろしく。

1月21日

山本様
ご指摘ありがとうございました。調べてみますと、おそらくあなたの言われる英文は、iskonのもではないかと思います。その他に四種ある英訳本の内、「あなた」となっているのが三種、どちらともとれるのが一種あります。
サンスクリットからの訳において、いくつもの解釈が出来る部分が多くあるようで、このほかにも、訳本のあいだで異なるところがいくつもあります。私自身は文章の流れから、そしてなるべく多数派から、どれをとるか選んでいきたく思っています。

Y.K.様、K.I.様。
御問い合わせありがとうございました。
発売は3月20日になります。縁起を担ぐ性格ですので、この日に決めました。どういう縁起か……。
お暇でしたらお調べ下さい。

1月27日

原稿など、全て私の手から離れたので、後は時間待ち。
しばらくインドの知人の家に行っていますので、メールなど頂いてもすぐには見れないと思いますので、どうかよろしく。

3月3日

どういう訳か、今日から書店に並んでいます。

3月12日

とける様、N.K.様、どうもありがとうございました。

11月26日

お待たせしました。
中巻は12月25日発売予定です。
おそらく数日は前後すると思いますのであしからず。
今回は、tough workでした!
下巻は来年です。

第十巻の翻訳は、意外にも楽です。
今はクリシュナ様と、心の中で、ヴリンダーヴァンで戯れています。

12月10日

ジャジャーン!
本日、書籍の確認を行いました。
店頭に並ぶのは、予定通り12月25日頃だと思います。
文字数を数えてみると、この本は三部で、トルストイの「戦争と平和」と同じだけあります。
さて、次の書籍のタイトルは「シャンカラ・詩とその生涯」(予定)です。

12月13日

シャンカラの思想はなかなか難しくて、一般人には高嶺の花のような感があり、不二一元論という、新しい哲学を唱えた者と見られていますが、実際には、当時の混沌としたインド宗教界に正しい方向を指し示し、本来のヴェーダへの回帰を促した人だったのです。
また多くの詩を残されて、民衆に救済の道を示した、慈悲深き聖者であり、救済者、ジャガド・グル(宇宙の教師)だったのです。
彼の人生の足跡をたどり、また残された賛美歌を見ていくことで、難解な哲学ゆえに霞まされている、彼の真の姿が顕わされるのではないかと思っています。

12月19日

本日から一部の書店で販売しているようです。
さてシャンカラについてですが、その誕生年についても、一般に言われているのではなく、実際にははっきりわかっていないようで、有力な説として、紀元前500年頃というものがあり、そうすると釈尊と同じ年代と言うことになります。
根拠もかなりしっかりしたものであり、ますます、日本に移入されているヒンドゥー教の知識は、かなり歪められたものであると思わされます。とくに、例の、あの狂信的な団体の犯した事件以来、ヒンドゥー教というと、何となく胡散臭く、カルト的、ブラックマジック的なイメージが漂っているのは、残念なことです。

12月22日

シャンカラというと、「仮面の仏教徒」とか、「インド最高の哲学者」などと、どちらかというと思想家のイメージでとらえられていますが、本当は、バクティ信仰を説かれた人だったのです。
当時のヒンドゥー教はかなり混沌として、本来のあり方から歪んだものに変質してしまっており、それを修正する目的で、この世に降誕されたようです。
当時としては、まだ仏教の方がまともであったようで、それゆえシャンカラの教えが仏教寄りとして、在来のヒンドゥー宗派から批判されたというのが真相のようです。
シャンカラの著作のほとんどが、古来から伝わる、権威ある聖典に対する註釈という形で為されているのも、以上のような点を考慮すると、むべなるかなと、理解できるものです。
また、日本ではあまり知られていませんが、シャンカラは神に捧げる讃美歌を非常に多く残されています。クリシュナ神に捧げる有名な詩もあり、それを読むなら、彼が単なる哲学者というのは、大いなる誤謬であり、本当は、本来のサナータナ・ダルマを、インドの地に確立された偉大な聖者だと言えるでしょう。
それ故に今日においても、インドのほとんどの宗派は、彼を高く崇拝しているようです。

12月24日

注!オンライン書店などで品切れのようですが、在庫はまだありますので、ご心配なく。またアマゾンのユースドの中には、見本として提出した本を売っている悪質業者がいるようなので、ご注意下さい。さらに馬鹿みたいな高額で売る人が、同じくアマゾンのユースドに時々出現するそうですが、この人達は注文を受けてから、正規の店で買って売り、それで利益を得ようとする詐欺師ですので、くれぐれもひっかからないようにご注意下さい。

なお、文字の読み方についての質問がありました。
時→とき、地→ち、水→すい、火→か、風→ふう、空→くう、音→おと、触→しょく、色→しき、またはいろ、味→あじ、香→かおり。
なお、岐阜県立図書館に、音声で吹き込んだ「バーガヴァタ・プラーナ上巻」のテープがあるそうですので、よろしければどうぞ。

12月25日

メリークリスマス!
ああ、シャンカラについて書かれた日本の本は、少し哲学的に偏っている。
インドの本をあちこち読んでいますが、どこでも、シャンカラは当時のインドの混沌とした宗教界を、本来のヴェーダの伝統に戻した聖者で、彼が生まれなければ、今のインドはあり得なかっただろうと言っておられます。
日本の書物は、どちらかというと、西洋の哲学者の眼を通して入ってきたものを土台にして、書かれているようです。
シャンカラについて書かれた日本の書籍をいくつか読みましたが、あまり参考になりません。

シャンカラの詩は、ああ、美しい!
魂が震えるような感動をおぼえます。
皆さんが味わえるのは、もう少し先の話ですね。

1月6日

訂正です。
上巻の342ページ「ダクシナーグニーという
供物を祭火に」とあるのは「ダクシナーグニーという祭火に供物を」の間違いです。どうもすみません。
中巻の280ページ、「バーヴァー
ドヴァイタ」などと記載ありますが、「」を省略して下さい。つまり、「バーヴァードヴァイタ」です。要するに、本当は「バーヴァーアドヴァイタ」というのが正しいようです。すみません。
下巻において訂正文を記載します。

サンスクリット語は素人には難しいです。
ちなみに、日本で出回っている「ブリハドアーラヤニヤカ・ウパニシャッド」の第四章、意識の三状態と自我の関係については、重大な誤訳があるんじゃないかと思います。

ラーマーヌジャが師から離れていった理由の一つに、師のサンスクリット語の解釈が間違っていることに気づいたことにあるそうです。インドの専門家でも間違うなら、しろうとの日本人に、さらに学者が間違っても仕方ありません。

シャンカラについてどうしてかくも日本で誤解されているかというと、ほとんどの著作が、二次的なソースを資料として用いているからのようです。つまり、日本人が書いたシャンカラについての記述をそのまま使用しているようです。参考文献を見ると、そのように思えて仕方ありません。また、一時的ソースとして用いているものも、西洋人が書いたシャンカラの印象をそのまま用いているようです。
インドの人は西洋人の意見に賛成していません。西洋人は、例のショーペンハウエルという哲学者がウパニシャッド文献を紹介した経由から、ヒンドゥー教を哲学的存在論の視点から捉えていく傾向にあり、信仰という視点からは捉えていないようです。ですから、実在と自我の関係とか、そういう点ばかりを強調して議論しているようです。
インド人は、ヒンドゥー教とは呼ばず、「サナータナ・ダルマ」と呼んでいます。つまり「永遠の宗教」という意味です。
過去において顕われた偉大な聖者は、すべてが本来のサナータナ・ダルマに回帰するという形で教えを説かれているのです。
つまり、その時々の社会事情、宗教的事情に合わせて、一般大衆にわかりやすく説かれていったのです。その結果として、強調する点が少しずつ変わっており、信仰の世界にあまり関係のない人からは、存在論だけが見えるようです。
それらの方々、具体的に言うなら、シャンカラ、ラーマーヌジャ、ヴァッラヴァなどの方々は、互いを非難し合ってもおらずに、サナータナ・ダルマという大きな海の中で、それぞれ共存した状態にあるのです。

1月23日

多くの方からメールを頂いているのですが、お昼間の仕事(夜のお仕事ではアリマセヌ)が忙しいため、ご回答などを載せられません。
時間が空いた時にまとめて解答をのせますので、よろしくお願いします。

1月27日

ラーマーヌジャは120才まで長生きされましたが、最後の六十年間は、シュリランガムの聖地で過ごされました。あの世へ帰るにあたり、別れを悲しむ弟子達に、自分の精神を込めた像を残しました。そして最後のメッセージを伝えて臨終されます。
その遺言は結構有名なものだそうですが、また機会があれば載せたく思います。
シャンカラ関係の書籍は既に50冊集めましたが、ラーマーヌジャのものはあまり残っておりません。けれども、出来れば「ラーマーヌジャの生涯」などという形で、本を書きたいと思います(いずれそのうち)。

5月10日

皆様お元気でしょうか?
私は元気にしています。ややお仕事忙しモードなので疲れ気味ですが。
お便り色々頂いていますが、返事も出せずに、まことに失礼いたします。
下巻の準備はボチボチとマイペースに進んでいます。そのうち発売日を載せますのでよろしく。
ところで、上巻のシヴァ神とダクシャの逸話、皆さん、あの意味わかりますか?
私もこれは何を意味しているのだろうかと不思議だったのですが、最近ようやくその意味がわかり、あっと驚いている毎日です。知りたい人はメールを、と言っても教えませんので、あいすみません。おそらくどの本にも載ってないだろうな、と、他の人にわかっていたらショックですが。
下巻の「覚え書きノート」に書きますのでよろしく。その他にここでは、わりと好きなことを書きますので、お楽しみに。

5月20日

下巻にはウッダヴァ・ギーターが載りますが、その他にも、シュルティ・ギーター、ビクシュ・ギーターが載ります。
シュルティ・ギーターは、言葉であるヴェーダが、どうして言葉を越えた主を顕せるのか、ナーラダ仙の質問にナーラーヤナが答えられます。
またビクシュ・ギーターはなかなかおもしろく、この思想はおそらく他の如何なる聖典、すなわち仏教やキリスト教の教えにも通じるところがあり、読まれるなら、どこかで聞いたような気にさせられるかと思います。
そしてさらに、ヴェーダの本質とは結局何であるのか、それがクリシュナ自身によって結論されています。

5月21日

クリシュナがウッダヴァに明らかとする、秘奥中の秘奥とは何か、そして善と悪に関する結論とはどういうものか。
ナーラーヤナの語源について。「水から生まれた者」以外に。
富める者とは誰であり、貧しき者とは誰か。
タイッティリーヤ・ウパニシャッドの、タイッティリーヤとは「山ウズラ」の意味だが、どうしてそのように呼ばれるのか。
ダッタートレーヤが明らかにする、二十四人の教師とは誰のことか。
第十一巻はその殆どがウッダヴァ・ギーターだが、その前に存在する、第2章から第5章は、バーガヴァタ・ダルマを要約した重要な部分とされており、それはどのようなものか。
聖仙マールカンデーヤが「非常に長期に生きた者」と呼ばれるのはどうしてか。
第十二巻においては、旧約聖書のモーゼの言葉とそっくりな部分が見られ、驚かされるが、それはどのような言葉か。
言葉の発生とはどのようなものであるのか。

5月22日

聖音オームを用いて心を浄化するとは、具体的にはどうすることなのか。
心にクリシュナを念想するとは、具体的にはどうするのか。
クリシュナの両親であるヴァスデーヴァとデーヴァキーは、過去において三度、クリシュナの両親となられたが、それはどのようなものであったのか。
またクリシュナの養父母であるナンダとヤショーダーは、どうしてそのような恩寵を得たのか。

ところで、日本の菩提樹は、本当の菩提樹ではないのを、皆さんご存じでしょうか?
インドにおける菩提樹が日本にはないので、代わりに別の種類の樹を菩提樹と呼んでいるのです。
インドのそれは、ベンガル菩提樹とインド菩提樹の二種ありますが、どちらもイチジク科の樹です。
あ、皆さんお気づきでしょうか?
そうです、創世記におけるアダムとイブのあそこを隠したのもイチジクの葉なのです。
イチジクはかくも神聖な樹なのです。
お釈迦様が悟ったのも菩提樹の下で、クリシュナ様が昇天したのも、菩提樹の樹の下なのです。
そしてクリシュナ様がう……、あ、ここら辺でやめておきましょう。

5月26日

バーガヴァタ・プラーナの十巻は、前半と後半に分かれており、前半は牧歌的な情景の中で物語が進んでいき、おもに幼児から少年期にかけてのクリシュナの偉業が語られています。一般に広く知られているエピソードは、ほとんどこの中に含まれています。
後半は青年期から、おそらく壮年、晩年にいたるまでのエピソードからなり、王としてのクリシュナ、そして家長の生活を送るクリシュナの姿が描かれていきます。
上巻、中巻と続いてきて、この下巻に入ると、どちらかというとがらっと雰囲気が変わってしまいます。それはどうしてかというと、……。それから後は、本が出てからのお楽しみ。

あ、私が詩人だと言うことで、どんな詩を書いているのかなどと問い合わせが来ますが、本名をグーグルで引けば、そのサイトにたどり着きます。馬鹿みたいにたくさん書いていますので、お暇な方はご覧下さい。
本名は誰かって? そんなことは絶対にしゃべりませんので、あしからず。

6月1日

○○○。。○○○○○は○○○○○○について書いてあるのですが、○。○○。○○○○は○○○。○○○○について書いてあるのです。なぜなら前者は○○○○の最中に、○○。○○○である○○○。○に説かれたもので、後者は、○○○。○が最後に○。○○の為に残していかれたものだからです。
十巻では、クリシュナとインドラ、そしてクリシュナとシヴァ神が戦いをする場面があります。インドに行った時、クリシュナとインドラが戦っている絵を見て、どうして戦っているのだろうと不思議に思ったのですが、そういうことだったのです。
クリシュナが言われる、如何なる解毒剤もあり得ないという毒とは何のことなのか?
マハーバーラタ戦争を引き起こすことになった、ドゥルヨーダナの本心はどこにあったのか?
クリシュナ神は手に色々なものを持たれて、また王冠や、宝石カウストゥバを付けておられるが、それらは何を意味しているのか?
十巻では、ゴーピー達の歌がいくつかあるのですが、これが難物です。とにかく詩ですので、厄介なのです。

7月7日

七夕です。
下巻の発刊は未定です。現在、ナ○○○・パ○○○ラ○○○を読んでいます。ものすごくおもしろいです。気が向いたら訳して本にします。

8月12日

下巻は訳した本文だけで620ページになります。事情により索引は必須ですので、700ページを越えるかも知れません。ご了承下さい。

8月22日

インドでは現在、インド映画史上最高の資金をつぎ込んだ、「マハーバーラタ」の制作が進行中だそうです。前後二部で、合計6時間の大作。
日本でも公開されるといいなあ。
アミタブ・バッチャンがビーシュマを演じるらしい。

8月24日

本日はクリシュナ様の誕生日、ジャンマーシュタミだ。去年の今頃はインドの夜空を眺めていたのだが……。

8月27日

ううう、文章校正が無限ループに近くなってきた。
思えば、パドマ・プラーナの部分と、バーガヴァタ・プラーナ第一巻の第一話は、殆ど校正を必要としないで、一気に翻訳できたのだった。
第五巻は大変だった。そのまま読んでも、間違ってはいないのだが、文学ではない。それこそ、切っては貼り、貼っては寄せ集め、寄せては上げて……。あ、違ったか。
一番始めに訳してみたのが、第十巻の第六十話、クリシュナとルクミニー王妃の会話だった。少し文章にしていくと、これでは私にも出来る、と思ったのでした。
別に締め切りもないし、しばし、このループの中を泳いでいこう。

第十一巻は、おおよそ、聖典的レトリックを駆使した表現になっているので、訳している方も小気味がよいです。

11月21日

お仕事が忙しくて、ああ、チカレタ。
お仕事辞めて、本だけ書いていたい。が、そうもいかない。
ヴリンダーヴァンとは、「ヴリンダーの森」ということですが、ヴリンダーとは何か? さあねー。
巻頭にリグヴェーダの最も有名な詩句を載せますが、それは何だろう? さあねー。

12月2日

下巻では付録にあっと驚く資料を付けます。どれくらいあっと言うかというと、私は一分間呼吸が出来ませんでした。五分も出来ないと死んでしまいますが。
ひとつは調べている間に、びっくりするようなことを見つけてしまったのです。
もうひとつは、驚くというか、今まで誰も試みたことがない、WEBとのコラボレーションです。私は驚くというより、ああ、面白いこと見つけた、という感じです。世界中の本を調べた訳でないので、他にも同じようなこと考えてしている作者が居るかも知れませんが。
最近、仕事に疲れ気味。

12月14日

しかし、下巻だけで「百年の孤独」の2倍の分量あるもんなー。
あっと驚く資料を読んだ皆さんの感想。
「はは、なに言ってんだい、どこの本にもそれはこうと書いてあるじゃん。インド学の常識だよ。ふんふん、……え?
ええ? えええ?
ぎゃああーー! 私の知っていたことは何だったの? 教えて、誰か!」
と、こんな感じでしょうか。
十分な証拠をあげて書いていきますので、ご心配なく。

12月26日

みなさま、クリスマスはいかが過ごされたでしょうか?
さて、きっと悶々としていると思われますので、上記のヒントをいくつか上げておきます。
「消えた伝説の河」そして「十五世紀ベンガルの大聖者」
前者はサラスワティー河のことですね、後者はもちろん、チャイタニヤのことです。
これだけでは、わかんないですよねー。
あと5〜6個、キーワード上げていきますので、お暇なときにご来場ください。

12月28日

下巻の目次をアップしました。→クリック

1月10日

お正月はいかがお過ごしでしたでしょうか?
話は変わりますが、インダス文字ってありますよね。いまだ解読されていない謎の文字。モヘンジョダロなどから発掘された印章などに残っている、象形文字ともみられるような文字で、解読はほぼ困難だろうと思われていた文字。
あれって、もう解読されていたんですよ!
インターネットなんて全ての情報あるわけありませんものね。やっぱり本買わないと。
そこで、そのインダス印章なんですが、それらに記された文字を解読すると、それは何と、○○○○だったんですよ!
ということは、インダス文明というのは(他にハラッパ文明とも言われますが)、○○○○文明のことだったんですよ!
私は仰天いたしました。ほんとに。

1月12日

インダス文字、私にも読めますよ。例のドーラビーラ遺跡の看板の文字ですが、


これは本当はこのような向きになるのです。

読み方は「ma dha dha ra ta va dha ? va dha」となります。最後から三番目は複合文字ですが、いまのところ私には読めません。

1月27日

キーワードその2
「二人のアショカ王」
って、なんだか推理小説みたいですね。
キーワードその3
「消えたバヴィシャ・プラーナ」
ますます推理小説みたいです。

あまり謎々ばかりだとつまらないと思いますので、いくつか種晴らし。
「ブリンダー」って何のことかというと、これ、私の家にも生えています。というか、インドから種持ってきて植えました。
室内の太陽が一パイの所に植えてあるので、冬なのに花を開きました。
ものすごく良い香りがします。なんだかチョコレートみたいな香りも混じっています。
「ブリンダー」とは「トゥラシー」のことなんですよ。
トゥラシーというのは、クリシュナ様にささげる、特別なハーブです。
けれどもこんな小さな種は見たことがありません。
「辛子種の如きほどの信仰」などと聖書に書かれていますが、辛子の種もかなり小さくて驚きますが、トゥラシーの種は更に小さく、かつ非常に生命力が強くて、あっという間に大きくなります。
手でサワサワと揺らせると、フワーッと香りが広がるので、こんな樹が森になっていて、そこに風が吹いてくるなら、果たしてどんな感じだったのだろう、と思わされます。

下巻の発行日はまだ未定です。

2月24日

なんだかあっという間に2月になった。
風邪を引いてしまいました。
殆ど完成しましたが、なんだかえらく手こずりました。
論理的な文章を書くのは楽ですが、十巻は物語なので、言葉遣いが思ったよりも大変でした。
前書きと帯の文章を書くときは、いつもしばらく自己嫌悪に陥ります。うう、偽善者ではないかと思われるので。
今回は、max2乗×100倍くらい、自己嫌悪になりました。
だがしかし、but、あまり馬鹿みたいなオチャラケ文章書けませんもんね。
「はーい、元気ですか?」なんて書いたら顰蹙をかいます。
変な文章が末代まで残ったら嫌ではありませんか。
旅行記載せる気でしたがスペース無くなったので、時々ここに書くことにします。
「ダクシャの祭祀の破壊」についても、載せる頁が無くなってしまいました。
そのうちここに載せます。まあ、一度聞いてみれば、なんだ、そんなことか、と、当たり前のことなんですが。
最初にのせるヴェーダは、「プルシャ賛歌」ではありません。
それを載せようかと思ったのですが、日本語にすると今ひとつという感じだったので。
そうすると、後はあれしかありませんよね。
あれって、あれですよ。
何だって?
あなた、少し勉強しましょう。.

3月4日

どうでもいいけれど、皆さん、「ヴェーダは神の言葉である」なんて書いてあるのですが、ヴェーダを読んでありがたいと思いますか?
私はどこがいいのかさっぱりわからず、ハテナマークが頭の中でぐるぐる回るのですが、
ヴェーダというのは、ダブルミーニングなのですよ、つまり二重、三重の意味があるのです。
そのうち、日本で手に入る訳本というのは、表面的な、いわゆる過たされた方の訳なのです。
だから、我々が読んでもどこがいいのかわからないのです。
ヴェーダーンタと呼ばれる、ウパニシャッドを理解してからリグ・ヴェーダを読めばいいのかも知れない。
どうしてそんなふうにおかしな訳本が主流になっているかというと、殆どのインド哲学とかいう書物の、後記の参考文献を見てみるとわかります。
それってたいていがヨーロッパ諸国の書物になっているでしょう?
ヴェーダって、インドの聖者でも間違うと言われているのに、外国の、まあ、少し頭はよいのかも知れないが、そんな人が書いた本を読んで正しく理解できると思いますか?
どういう訳か、インド人の書いた書物というのは、権威が無いと言うことなのだろうか、よくわからないが、ほとんど資料として載せられていない。たまに載せられていても、いわゆる、学者と称する人の物がほとんどなのです。
そしてその内容も、少し偏見の入ったものが多いのです。
それはどうしてかというと、ある理由があるのです。

これからは週に一回くらいは(金曜日?)アップしていくので、しばしばお立ち寄り下さい。

3月5日

時々、個人的に接触をはかる方がおられますが、はっきり言って、ストーカーお断りです。
またデバガメみたいに、人のプライバシーを嗅ぎ回す暇人もいますが、
そんな人は、そのうちこのホームページ上に名前を晒して、全国の皆さんに知らせてあげますよ。

話は変わりますが、次にはマトゥラーに行った時の話を書きますね。

3月15日

金曜日と言っていましたが、日曜日になってしまいました。
日々はどんどんと過ぎていきます。
硬い文章ばかり書いていると疲れるし、ここでは柔らかく書いていきましょう。
校正もしなければそれほど書くのは面倒ではないので、ホームページ上で書く文章は、娯楽程度に思ってください。
さて、マトゥラーですが、デリーから南へ150キロくらい離れたところにあります。
あ、それから、これから書く旅行記の内容ですが、私自身ほとんど記録なんか取っていませんので、数字はあまり正確と受け取らないでください。何キロとか、何ルピーとか、調べればわかるのでしょうけれど、面倒くさいので、知りたい人は自分で調べてね。
ガイドブックなどにも、マトゥラーとかヴリンダーヴァナなどは少し載っていますが、普通はそこを通り越して、タージ・マハルに行くでしょうけれどね。
始めてマトゥラーに行ったのは、バスに乗ってです。ちなみに、デリーからマトゥラーまでは、バスでも電車でも一本で、乗り換えなしで直通で行くことが出来ます。運賃はどちらも、だいたい60ルピーくらい(約180円)位だったと思う。
バスに乗るには、デリーの南の方に、何とか言う大きなバスターミナルがあるので、そこになるべく朝早く到着するようにします。
すると、「マトゥラー?」などと切符売り場の人に聞けば、乗り場を教えてくれます。
バス乗り場は、日本の普通のバスターミナルとそっくりです。しかし、そこに到着した時、タクシーで送ってくれた運転手さんは、「あんた、財布に気をつけなよ。お金を人に見せたらだめだよ」などと言われたので、少しひるみましたが。
バスは一時間に一本くらい、一日中走っています。バスそのものは、……ボロイ!椅子もカバーがすり切れています。窓はプラスティックです。(アクリル?)ところどころひびが入っています。クーラーが無くとも、余裕で涼しいです……。
チョコンと座席に座っていると、若い女性がなにやらそれぞれの座席に紙切れみたいなものを置いていくので、私はてっきりバスに乗るさいの注意書きか何かと思い、手に取ったところ、「50ルピー」と、その女性がのたまう。「え?」と私。「だから50ルピーと言ってるでしょう」私は何が何だかわからなくて50ルピー払いましたが、よく見るとヒンディー語でなにやら書いてある。あれ、これバジャン(讃美歌)じゃないの、と気づいたのもあとの祭り。しかしいろんな方法でお金巻き上げようとする人がいるねえ。スリに遭うよりましか。後で横に座ったインド人のビジネスマンに、「あんたはムール(馬鹿)だ」なんて言われて、私は「いえ、私は気前がいいのですよ」などと言ってやったわさ。
バスはほとんど満員状態になり、ターミナルを出発する。道は、非常に綺麗。日本のハイウェイと同じくらいです。けれども気をつけないと、結構事故が多いようです。横転している車を何度か見かけたことがあります。
このハイウェイは、何とか言う名前がついていて、おそらくインドでも一番綺麗で、広くて、デリーを中心に北インドの主要地点を通過しているそうです。途中でいくつかの停留所を通過していきますが、トイレ休憩などはありません。
約三時間ほどでマトゥラーに到着します。
バスを降りると、リキシャワラーがわらわらと寄ってきます。でも私は歩いていきました。バスの停留所はマトゥラーの町の外れにあるので、店もなにも、ほとんどありません。ただ、屋台はたくさんあって、バナナやらジュースやら、キンマなどを売っていました。
地図もなにもないので、こちらだろうと思う方向に、人に聞きながら歩いていくと、20分くらいで町の中心に辿り着きます。しかし、聖地とはいうものの、車のクラクションでものすごいうるさいです。排気ガスもくさくて、時々頭が痛くなります。(つづく)

3月16日

皆さん、ゴールデンウィークはお家にいましょうね、なぜって、多分……。

外国人がこの町に入ってリキシャに乗ると、絶対始めにクリシュナ生誕寺院に連れて行ってくれます。
ここはクリシュナ神が生まれた場所として崇められていますが、本当はこの寺院ではなくて、その隣に建っているモスクの地下に、クリシュナ様が生まれた牢獄があるのです。ちょうどアヨーディヤーと同じように、イスラム教徒が元々あった寺院を破壊して、その上にモスクを造ってしまったのです。だからそこには入ることが出来ません。入ろうとしたら、あなた、警護している警官に射殺されますよ。
この寺院の中に入るには、かなり厳重なボディーチェックをされます。女性も身体を触りまくられます。けれども心配いりません。女性は別の部屋があって、そこで女性警官が、やっぱりさわりまくってくれます。以前はこれほど厳重ではなかったそうですが、最近はテロとか物騒ですもんね。
とにかくこのあたりは、警官がたくさんいます。インドの警官はかなり権威を持っています。一般市民なんか、警官が側に来ると、緊張して固まっています。まあ、警官もほとんどはそれなりに立派な人相をした人がいますので、治安もとれているようですが、時々は悪質汚職警官もいるようで、それはどこでも同じでしょうか。
この寺院はそれほど古いものではなく、篤志家が100年かそこら前に建てたものらしく(もっと最近かな)、中には、多分その人と思われる、神殿に面して大理石で造られた座像が安置してあります。
寺院に入って行くには、かなり幅広い階段を、40段くらい上っていきます。靴を脱がなければいけませんよ。インドでは高価な靴を履かないようにしましょう。脱いで上がっていって、降りてきたらなくなってる、なんてことが十分にあります。(続く)

3月18日

駄文の嵐。こんな文章ならいくらでも書けます。
寺院の中は、ちょうど大きな体育館のような感じです。下は大理石、ヒンヤリと冷たくて、夏の暑さに火照った足には気持ちがいいです。
寝そべって上を見上げると、かなり高い天井に、クリシュナ様の生涯を描いた絵巻物が美しく展開しています。でも、寝そべってはいけません。寺院の人が来て注意されます。しばらく暑さが取れるまで涼んだ後で、寺院の中をうろつきましょう。正面にある神殿は、やはり体育館の中の演台のようになっています。というよりは、少し小さな舞台のような感じです。普段はカーテンが閉められていて、中を見ることは出来ません。けれども一日のうちの何回か、正確にはわかりませんが、一時間もいれば必ずカーテンが開くはずです。夜に訪れた時には、ぼーっと座っていると、後ろの方でお寺の若い坊さんが何人か集まってきて、手には、シンバルのようなものを持っています。時間がくると、「ジャーン、ジャーン、。ジャンジャンジャジャーン」という感じで、シンバルを打ち鳴らす。すると中に集まっていた参詣の方々は、正面の演台の近くに集まっていき、「ハレクリシュナ」とか「ゴーヴィンダ」とか口々に叫ぶ間に、舞台に年配の坊さんが出てきて、重々しくカーテンを開くという次第。
皆がたくさん集まってきてしばらく声を出してお祈りなどした後、再びするするとカーテンは閉められます。
中にあるのは、クリシュナ様とラーダー様の大理石の像です。それほど古いものではありません。でも、どういう訳か、このクリシュナ様って、黒い色じゃなくて、白い肌をしておられるのです。
その後は、正面の神殿の周囲をぐるりと右から後方、左へと巡っていきましょう。日本の大きな寺院と同じ構造になっています。そしてやはり日本と同じように、壁には絵巻物みたいに、クリシュナ神の生涯のことがかいてあるのです。というよりは、どちらかというと、ヴィシュヌの降誕物語のようになっています。ラーマとか、仏陀とか。
絵は、彩色画ではなく、線画です。綺麗な線ですが。
それから本堂の方に戻ってきて、あちこちと見学しましょう。たくさん祠みたいなものがあって、ハヌマーンやら、サラスワティーやら、ガンガーなどの像が祀ってあります。(続く)

3月20日

さて神殿の左右には、それぞれ座像が安置されています。向かって右側にあるのは、シャンカラの座像です。シャンカラの姿は特徴的なのですぐにわかります。若くて剃髪をされていて、片手に錫杖を持ち、片手で印を結んでおられるのです。そして左側には、髭を生やした老人のような方がおられて、前に開いた書物に何か書いておられます。はて、これは誰なのだろうと、近くの人に聞くと「ヴィヤーサですよ」と仰られました。そりゃあそうでしょうね、やっぱり、ヴェーダの作者であり、プラーナの作者ですもんね。けれども、シャンカラの像があるのには少し驚きました。やっぱりシャンカラはクリシュナ信仰に深く関係しているのですね。おそらくはこれら神殿は昔のものからの蹈襲であると思われる為、大昔の神殿も、きっとこれと同じであったろうと推測されます。
次に、右手に、低いテーブルのような台があって、その上には、九人の神像のようなものが彫り込まれた、というよりは立てられた、金属製の小さな板があります。大きさはちょうど将棋の台くらい。皆がそれに手を触れるので、かなりすり減っています。これ誰なのだろうと、周りの人に聞いたのですが、よくわかりませんでした。けれども、このプラーナの12巻で、ニミ王に九人の聖者(ナヴァヨギー)が道を説くのですが、いま思えば、それらの方だったのだろうかと思います。
暑さも収まったところで、外に出ましょう。あ、私始めていった時は、夜だったので、寺院の大理石性のテラスから眺めるマトゥラーの町は、非常に幻想的で感動しました。夜の闇に包まれれば、今も5000年の昔も、対して変わらないように思います。
お昼間にいくと、寺院の周りを、テラスに沿ってぐるりと回りましょう。すると、それら四面には、「バーガヴァタ・プラーナ」の中の詩句が書かれているのですよ。刻めばいいのに、なんだかペンキで描いてあるので、少し興をそがれますが。でも、私全て訳したから、それらはこのプラーナの詩句だとすぐにわかりました。
寺院の神殿は東を向くように置かれています。そして外を回って、北側の位置から、その北を見ると、先に述べたように、クリシュナ様の本当の誕生地である、モスクがあるのです。以前見たときは、なんだか人が何人か入って工事をしておられました。
次に寺院を降りて、北の方向に歩いていきます。するとすぐそこに売店がいくつか並んでいます。その左側を越えていくと、低いピラミッドのようになった小さな高台が造られています。その階段を30段ほど上ると、その頂上に出ます。右に歩いていきましょう。そこには、大理石の壁が造られています。その向こうにモスクが存在しています。参詣者はそれに向かって礼拝をささげるのです。
夜に行った時、皆がしきりにその壁にコインをこすりつけています。はて、何をしているんだろうと思い、「コインで擦ったらお金持ちになるんですか?」と聞くと、「こすってコインが壁に張り付いたら、その人は悪い人間と言うことなんだ」との返事。しかし、大理石の壁にコインなんかくっつくんだろうか?
それが終われば、右手に歩いていきましょう。すぐそこに、下に降りていく、トンネルのような狭い階段があります。それを下っていくと、このピラミッド状の構造物の内部に入るのですが、つまりそこは、クリシュナ様が誕生した牢屋を模したものなのです。石で出来た寝台があって、皆がそれに向かって礼拝を献げておられました。そしてさらに歩いていき、その構造物の外に出るのです。
以上のように書いてきても、空間的位置関係が今ひとつはっきりしないでしょうが、本の中でははっきりわかるようにしておきますので。どうするかだって? それは買ってからのお楽しみです。
次に寺院から外に出て行きましょう。寺院の前の道は車両通行止めになっています。牛やら警官がたくさんいます。そしておみやげ物屋さんや、飲食店がたくさん建ち並んでいます。おみやげは、どこでもあるようなものなので、今ひとつです。飲食店も、どこでも同じです。しかし、流行っている店と流行らない店が極端なので面白いです。暑さでへとへとに疲れて、その中の一軒の店に入って食事を頼んだとき、貧乏な旅行者と思ったのか、まけてくれました。その店は流行っていました。店主は善良そうな人でした。やっぱりがめつそうな人の店は流行ってなかったです。最近はクーラー付きの店も出来ているので、日本人にも安心です。マトゥラーの有名なおみやげは「ペレ」とかいうお菓子です。小さな甘いお菓子で、いっちゃあ悪いが牛の○○○のように見えました。マトゥラーに来たら皆、買っていくそうです。
それから右側に歩いていきましょう。位置関係で言うと西側です。しばらく行くと、ばかでかい貯水場があります。貯水場といっても、神聖な構造物です。中はラグビーの試合が出来るくらいあります。「ポタラークンド」と呼ばれて、クリシュナが誕生したとき、おしめを替えて洗ったとか言われる場所です。ヴァスデーヴァさんが洗われたのだろうか?始めていった時は水が全然たまっていませんでしたが、二回目に訪れたときは、満々と水がたまっていて、側面の穴からも、膨大な水が噴出していました。これらの水はどこから来たのだろうか、果たしてどこへ消えていくのだろうか? と不思議に思わされました。(続く)

3月21日

出血大サービス、赤字覚悟の「3500円!」
発売日は5月9日です。
けれども多分、もっと早く出回ると思います。

3月28日

クリシュナ生誕寺院を見終わったら、次はヴィシュラムガートに向かいましょう。
歩いていけば30分くらい、暑くて困る人はリキシャを頼みましょう。「ヴィシュラムガート!」といえば連れて行ってくれます。お代は、20ルピーくらいか。リキシャの値段なんてあってもないようなものだからね。
私、始めていった時は、歩いていきました。商店街の中を歩いていくのですが、まあ、それって車が一台、無理すれば二台通れるような広さ。両脇の家々の屋根では、猿が走り回っています。買い物時間などになると、人だらけでうじゃうじゃしています。現地でも、両家のお嬢様は、歩いたりされません。リキシャに乗って通行されます。まあ、深窓の令嬢なんて言葉がピッタリでございますのよ、ほほほ。
しばらく両脇の店を冷やかしながら進んでいくと、「イスラムガート」なんて聞こえたので、はて、こんなところにイスラム教の施設があるのかと思ったのですが。
右手を見ると、少し下ったような石畳の道があり、上には石の門がそびえています。そこには、どうやら「ヴィシュラムガート」と書いてあるようです。少し歩くと、すぐにヤムナー河に到達します。そこには、何やら鐘やら、門やら、色々あって、こじんまりとした寺院の境内のようになっています。川岸までは10段くらいの階段を下りていきます。丁度現地のブラーフマナが、旅行者のインド人にプージャの手ほどきをしていました。椰子の実とマリーゴールド、そしてなんて言う名前か忘れたが、赤と白のまだらの花などを用いて、それを河に流すようです。
しかしここはお猿さんがたくさんいて、まあ小さな猿なのですが、私なんて、「ああ、いい子いい子」なんて頭をなでようとしたら、歩いていった後で、後ろから「キーーー!」なんて襲いかかられましたよ。猿は怖い。
おまけに、ここには乞食さんがたくさんいます。「ギブミーマネー!」なんて言ってきます。「君、絶対お金渡したらいけないよ!」などと、お寺の坊主から注意されます。
ここはどういうところかというと、クリシュナ様がマトゥラーで無事にカンサを倒した後で、手と足を洗われた場所なのですよ。小さな祠のような中に案内されて、そこで絵巻物みたいなのを見せてくれました。カンサの首が台車に乗せられて、都中を引き回されていました。
ヴィシュラムガートは、実はかなり広範囲にわたります。かなり広い範囲の川辺を占めています。川沿いには、宗教的なおみやげグッズをたくさん売っています。数珠とか、いろいろ。
お暇な人はボートに乗りましょう。200ルピーくらいか。このあたりのヤムナーを遊覧してくれます。ヤムナー河って、場所によって全然広さが違うのですよ、このあたりはかなり川幅が広く、深さも深いようです。もちろん石を投げても、対岸には届きません。まあ、雨期と乾期でもかなり違うようですが。それと、ヤムナー河って、ロマンチックに聞こえますが、かなり汚いです。私は怖くて足を浸けることができませんでした。足の底にニュルニュルと、なんだかぬめりがまとわりつきそうです。鰐などはいないだろうけれど、蛭はいそうな気がする。
さて、ヴィシュラムガートよりも少し上流には、ヴァスデーヴァが生まれたばかりのクリシュナ様を頭に乗せて、河を渡った場所があります。名前は何というのか忘れたけれど。まあ、河の上から見ていると、それらはみな美しいのですけれどね。側に行くとゴミがたくさんあります。(続く)

3月31日

ヴィシュラムガートから外に出て、再び商店街?に入ると、歩いてすぐ、ほんの数分もしないところに、左手に派手な門構えが見えます。けれども、商店街?に面しているので、注意していないと見落としてしまいます。入り口は非常に小さく、上がる人と降りる人の二人しか通れません。ここがドワルカドヒーシュとか、何とかいう、クリシュナさまを祭る寺院です。靴は入り口に脱ぎっぱなし。ないしは、横に数ルピーを渡せば預かってくれるおばあさんがいます。
ここの主神殿には、かなり豪勢なクリシュナ様の像と、周りのデコレーションが見られます。天井を見ると、やはりかなりきらびやかな絵物語が描かれています。本当に、かなりの美しさに、呆然と見とれてしまいます。絵のテーマというのは、クリシュナ様の子供の頃の遊戯とか、ゴーピー達との逸話とか、そういう内容なのですけれどもね。実はこのようなテーマを書くというのは、重大な意味があるのですよ。ナーラダパンチャラートラには、ナーラダ仙がブラフマー神の指示を受けて、シヴァ神の住んでいる宮殿に向かうのですが、そこの入り口には、幾つもの門があって、それらの周囲には、クリシュナ神の子供の頃の遊戯が幾つも描かれてある、と記載されているのですよ。パンチャラートラというのは、まあ、タントラの一種ですが、結局、象徴から入っていくのですね。このほかにもヴィヴィッドな描写があって、面白いですよ。(内容はひょっとすると少し間違っているかな?あまり細かく覚えていないので、適当に読んでね)
ここの寺院の名前って、ドワーラカーにある寺院と同じなのですよ。どちらが本家とかいうことはわかりませんが。周囲の壁には、やはり絵やら、彫刻などがあり、案内してくれた坊さんは、「これは神殿にあるクリシュナの像と同じものです、内緒で写真とってもいいよ」と言われたのですが、まあ、畏れ多くて、遠慮しておきました。
私、クリシュナジャンマーシュタミー(クリシュナの誕生日)にも行きましたが、一種の熱狂的な雰囲気で結構感動しました。笛を吹いている人やら、踊っている人やら、大変でしたよ。
この寺院にはもう一つ入り口が、横の方にもありますが、そこから出て行くと、少し寂れた裏道に出ます。でも、靴を脱いで貼ったので、別の所からは出られません。
この次にどこに行くかと言えば、後ろに戻って、さらに中心街に入るのも面白いです。結構人通りもあって、道も広くて、活気に満ちています。映画館もあります。職業安定所?もあって、若い人が列を作って並んでいます。買い物時間は避けた方がいいかもね。かなり騒然としているから。
けれども、普通は、ここからヴリンダーヴァナに向かいましょう。といっても、直接はいけません。ターミナルのようなところがあるので、そこに向かいます。小型の幌トラックみたいなのが一杯待っていて、まあ、中には4人くらいしか座るスペースがありませんが、そこに八人は座ります。八人くらいにならないと出発してくれません。詰め込まれるとかなり恐ろしいです。おまけに、その後から、車の後ろに無理やり座ったりとして、そんなかんなで、10人以上がその車に乗って出発します。横転したら多分大けがすると思います。命が大事な人は、お金を払って貸しきりにしてもらいましょう。全員で乗ると、10ルピーくらいですが、100ルピーも出せば一人でも乗せていってくれます。10キロくらいありますが、リキシャで言ってやろうかというリキシャ引きもいます。自転車こいでいくのですが、元気ですね。まあ、それしてる人って、おそらく農業などの間に、仕事なくて働いている、どちらかというと貧困層の人なのですよ。私も、なんだか深刻そうな人が多いので、側にいた若いインド人に、「リキシャ引いている人って、いわゆる、アウトカーストなんでしょうかねえ」などと声を潜めて聞いたのですが、「そうじゃなくって、みんな酷く貧しいんだ、僕もリキシャ引いているだけれどね」なんて、失礼しました。(続く

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クリシュナ神の物語・「バーガヴァタ・プラーナ」