クリシュナ神の物語

バーガヴァタ・プラーナ  第十二巻

第十二巻は1話から13話まであります。

  第十二巻第三話
 カリ・ユガの悪を逃れる方法
 
 聖シュカは再び始めました。
 『 彼らが自分を征服しようと躍起になるのを見て、大地の女神は笑ってこう言うでしょう。「 死に操られる者に過ぎぬこれらの者達が、私を征服しようとするとは、まあ、なんと驚いたことでしょう!
 これら王達の野望は、全て空しく終わるでしょう。彼らはこのような野望ゆえ、死は避けがたきものと知りながらも、泡のような肉体に信を置いていくのです。
 『 まず始めに六種の内なる敵を征服して、その後、敵の王の相談者や大臣、親族、友人、市民、象の乗り手などを次々と支配下に収め、そうしてすべての棘を取り除いた後で、海に囲まれた地球を征服していこう! 』彼らはこのような野望をいだきながらも、身近に迫りつつある自分達の死に、少しも気付くことがないのです。
 海に囲まれたドウィーパを征服すると、今度は彼らは海へ出かけていくでしょう。このような者達が心と感官を支配したところで、その成果はなんと乏しきものでしょう。サンサーラ(輪廻転生)からの解放こそが、自己を制圧して手にすることの出来る、真の報酬と言えるのです! 」
 「 これら愚か者達は、 」大地の女神は、ああ、クルの宝よ、さらに続けるでしょう、「 互いに戦って私を征服しようと考えます。けれども、マヌやその息子達であっても、最後には私を手放して、かつて生まれてきたように、再びあの世へ帰って行ったのです!
 王国を我が物と考える、これら邪悪な父と息子、そして兄弟達は、大地である私を巡って、互いに争い始めるでしょう。
 彼らは、『 愚か者めが、この地球は俺のものだ、お前のものではない! 』などと叫びながら、私を求めて相手を攻撃し、最後には自分達も死んでいくのです。
 プリトゥ、プルーラヴァー、ガーディ、ナフシャ、バラタ、サハスラー・アルジュナ、マーンダーター、サガラ、ラーマ、カトワーンガ、ドゥンドゥマーラ、ラグ、トリナビンドゥ、ヤヤーティ、シャリヤーティ、シャンタヌ、ガヤ、バギーラタ、クヴァラヤーシュワ、カクッツタ、ナラ(ニシャダの王)、ヌリガ、ヒラニヤカシプ、ヴリトラ、人々を泣かせた悪魔ラーヴァナ、ナムチ、シャンバラ、ナラカ、ヒラニヤークシャ、ターラカ、これら非常な勇気を備えて、物事をよく理解し、全世界を征服した無敵の王達は、全員が私を自分のものと宣言して、得意満面に生きていったのでした。けれども、死すべき定めにある彼らは、結局は自分達の目的を遂げることなく、死によって連れ去られて、今はただ英雄談で語られるだけとなっているのです! 」ああ、パリークシットよ、大地の女神はこのように結論しているのです。(1〜13)
 
 ああ、王よ、この世に名声を広めて、そして死んでいった、これら輝かしき人々の物語は、この世の楽しみは実体なきものだと、あなたにそのように知ってもらい、あなたがそれらに嫌悪感をいだくよう、こうしてお話ししてきたのです。これらはただの言葉の羅列であり、そこには最高の神理は存在していないのです。
 しかし、正しき人達がたえず讃美する、ウッタマシュローカ(クリシュナ)の素晴らしき物語は、悪をすべて終わらせてくれるのです。それゆえ、クリシュナへの純粋なバクティを得たいと願う者は、毎日のようにそれを聞く必要があるのです 』(14〜15)
 
 パリークシットは問いました。
 『 ああ、神の如き聖仙よ、カリの時代に積み重ねられた罪を、そのカリの時代において、人は如何にすれば消すことが出来るのか、どうかそれについて教えてください。
 また各ユガの特徴について、及びそれらユガに定められた行為の道と、宇宙の寿命と最終帰滅(プララヤ)の期間、さらに宇宙の王達(ブラフマーやシヴァなど)を監督する、偉大な主ヴィシュヌが持つカーラ(時)の働きについても、どうか私に教えて頂きたいのです 』(16〜17)
 
 聖シュカは答えました。
 『 ああ、王よ、サティヤ(クリタ)・ユガにおいては、ダルマ(徳)は四本の足で地上を歩き、その時代の人々は、それらを心に抱いて生きていたのです。真実、慈悲、苦行、万物の保護、この四つが、ダルマの四本の足を表していたのです。
 その時代の人々は、自らに満ち足りて、憐れみ深く、生き物には友好的で、冷静な心を持ち、何事にも忍耐強いでしょう。そしてよく自己を制御して、アートマンに喜びを見い出し、全てを平等に眺めて、自己実現へと向けて努力するのです。
 トレーター・ユガに入ると、ダルマが持つ四本の足は、アダルマ(不正義)の四本の足である、偽りと暴力、不満、不和により、それぞれ四分の一が浸食されていくのです。
 その時代の人々は、ヴェーダの祭式と苦行を、熱心に行い続けるでしょう。そしてまだそれほど暴力と不道徳には陥らず、人生の最初の三つの目的(ダルマ、アルタ、カーマ)を追求していくでしょう。人々はヴェーダの知識を深めて、社会の中では、ああ、王よ、ブラーフマナが大半を占めるのです(人々はブラーフマナのように気高く生きていた)。
 ドヴァーパラ・ユガになると、慈悲と苦行、真実、奉仕というダルマの四本の足は、アダルマが持つ、暴力、不満、偽り、憎しみによって攻撃を受け、それぞれ半分まで減衰していくのです。
 この時代の人々は、名誉と栄光をこよなく愛して、壮大な祭祀を行い、ヴェーダの学修に喜びを見出し、非常に繁栄して、また幸福で、大きな家族を養うでしょう。そして社会の中では、ブラーフマナとクシャトリヤが大半を占めるのです。
 ところがカリ・ユガに入ると、ダルマが持つ四本の足は、それぞれ四分の一だけが残るようになり、アダルマの足が大地に根をおろすや、それらは徐々に衰え、ついには完全に消滅してしまうのです。
 その時代の人々は、欲深くて、不道徳な行いに耽り、無慈悲で、原因なく争い、不幸に満ちて、非常に貪欲となるでしょう。そしてシュードラや漁夫(下層の人々)が、人々の上に立つのです。
 サットヴァとラジャス、そしてタマスは、 人の中において見られるものです。そしてそれらは時の力によって、心の中で増大し、また減衰していくのです。
 人々の理性と心、感官がサットヴァに満たされて、彼らが苦行の実践や智慧の獲得に関心をいだく時は、この世はクリタ・ユガにあると知るべきなのです。
 そして人々が、宗教的功徳(ダルマ)、この世の財産(アルタ)、楽しみ(カーマ)、それらを愛する時には、ああ、知性あふれる者よ、それはラジャスが活動的な、トレーター・ユガだと知るべきでしょう。
 しかし人々の間に、貪欲と不満、自負、偽善、妬みが広がり、欲望を持って祭祀を行うなら、それはラジャスとタマスに支配される、ドヴァーパラだと知るがよいでしょう。
 さらに不誠実と虚偽、倦怠、惰眠、暴力、落胆、嘆き、迷い、恐れ、惨めさ、これらが広がっている時には、それはタマスが特徴的な、カリ・ユガだと言えるのです。
 人々はカリの影響を受けるや、愚鈍で、不運、貪欲となり、享楽に耽って、貧困に苦しみ、女性は不品行で、淫らとなっていくのです。
 国中に盗賊と悪漢がはびこり、ヴェーダは異端者によって非難されて、王達は国民を食い物とし、ブラーフマナを始めとする再生族は、性欲と食欲の奴隷となるのです。
 聖なる学徒(ブラフマチャーリー)は定められた規範を守らずに、純潔の誓いも破ってしまうでしょう。そして家長が(人に布施せずに)物乞いを行い、隠棲者が村落で暮らして、遊行僧(サンニヤーシー)は貪欲に金銭を求めるのです。
 女性は発育が悪くても食欲は旺盛で、多くの子供を出産し、慎ましさを無くしていくでしょう。そしてたえずガミガミと小言を言い、盗みに耽って、狡猾となり、恐れを知らなくなるでしょう(発言力を増す)。
 卑しき商人は、品物を動かすだけで利益を得て、平気で詐欺を働くようになるでしょう。そして困った状況でもないのに、人々は正しき人から非難される仕事を為すのです。
 召使いは主人が貧困に陥ると、他にどんな優れた点があっても彼を見捨てていき、主人もまた、世襲として続いてきた召使いであっても、病気などで仕事が出来なくなるや、彼を解雇してしまうのです。そして乳を出さなくなった乳牛を、人々はもはや養おうとしなくなるのです。(18〜36) 
 
 カリ・ユガでは、男性は女性の奴隷となり、まことに情けなく、性の悦びが男女の絆の基本となるでしょう。そして男性は自分の両親や兄弟、親族を棄てて、義理の姉妹や兄弟に相談を持ちかけるのです。
 さらにシュードラが隠棲者や聖者の身なりをして、人々から布施を受け取り、信仰について何一つ知らぬ者が、高い席に座って人々に説教するのです。
 カリ・ユガの人々は、飢餓と重税に苦しみ、不安に苛まれて、土地もやせ細るため、たえず干ばつを恐れて暮らすのです。
 人々は着物や装飾品を着けずに、食べ物や飲み物も、寝場所や性の悦びも持たず、沐浴も行わない為、まるで悪鬼のような姿に変わるでしょう。
 カリ・ユガでは、人々はたかだか二十枚の子安貝(少しのお金のこと)のことで、今までの友情や善意を捨てて、自分の家族を殺して、愛しき自分の生命まで捨てようとするのです。
 欲深い者は年老いた両親を養おうとせず、性欲と食欲を満たすだけとなり、両親もまた、全てにおいて優れた自分の息子を、自分とは関係ないと言うのです。
 ああ、王よ、宇宙の最高の礼拝の対象であり、三界の支配者までがその御足に礼を捧げる主アチュタを、異端に毒されたカリ・ユガの人々は、もはや崇めようとしなくなるのです。
 主の御名は、たとえ病いの床にある時や、臨終の時、さらにつまずいたり、転んだりした時、思わず唱えただけでも、主はその者のカルマを消して下さり、最高の目的(モークシャ)を遂げさせて下さるのです。であるのにカリ・ユガの人々は、その主を礼拝しようとしないのです。
 プルショーッタマ[最高の者・クリシュナ]は、人々の心に祭られるや、カリ・ユガの影響で生じる、物質や場所、心からの悪を、全て消して下さるのです。
 主の御名を聞き、それを讃美して、さらに主を瞑想して、主を礼拝し、主を崇めたなら、主は必ずその者の心に住まれて、彼が幾千もの転生で積んできた罪を、全て除いてくださるのです。
 火が金塊を溶かして、そこから不純物を除くように、ヴィシュヌは御自身を思う者の心に住まれて、そのヨギーのカルマを消してくださるのです。
 聖典の学修、苦行の実践、呼吸制御(プラーナーヤーマ)、人々への友愛、聖なる水での沐浴、誓戒の遵守、布施、マントラの詠唱、これらは、自分の心に主を祭ること以上に、その者の心を浄化してはくれないでしょう。
 それゆえあなたは、ああ、王よ、全存在を賭けて主ケーシャヴァを心に祭り、自分が死ぬであろう、まさにその時に、その主を思うようにするのです。そのようにすることで、あなたは最高の目的を遂げることが出来るでしょう。
 全宇宙の主宰者であり、全ての者の霊魂でもあり、かつ庇護所である主を、人は一時も休まずに瞑想すべきなのです。なぜなら、生きている間にたえず主を思うことで、その者は臨終時にも主を瞑想することが可能となり、そしてそのようにして死んでいく者を、ああ、親愛なるパリークシットよ、主は必ずご自身と一つの境地へ導いてくださるのです。
 ああ、パリークシットよ、ありとあらゆる悪が存在するカリの時代は、ただ唯一の偉大な徳目を持つのです。それは、人々はクリシュナの御名と栄光を唱えるだけで、全ての執着を除かれて、最高の帰趨に至れるということなのです。
 サティヤ・ユガで主を瞑想して得られたもの、トレーター・ユガでは祭祀で主を満足させて得られたもの、そしてドヴァーパラ・ユガでは主を礼拝して得られたもの、それらはこのカリ・ユガでは、ただシュリー・ハリの御名を唱えて、その誉れを歌うだけで、人々は容易に手に入れることが出来るのです! 』(37〜52)
 
 注1 この記載からも、ヴァルナはその人の性向(罪)によって生じたものであり、主が決めたものではないと理解できる。

(第十二巻第三話の終わり)

校正終了

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