第一巻は、第一話から第十九話まであります。
第一巻第十一話
ドワーラカーへのクリシュナの入城
― スータは続けた ―
非常に繁栄するご自身の領地、アーナルタに到着されると、自身の長き不在に嘆く民を慰める為、クリシュナは、偉大なるパーンチャジャニャの法螺貝を吹かれました。
法螺貝が吹かれるや、薔薇のような全能の主の唇に触れて、その吹き口は赤く染まり、蓮のごとき主の御手の中で、一対の赤蓮華に憩う白鳥のように、それは眩しく光り輝いたのです。
世界の恐れをも震え上がらせる、聞きなれたその法螺貝を聞くや、ドワーラカーに住む全ての民は、自分たちの主人である主に逢おうと、急いで都から出て行きました。
ご自身のアートマンにのみ喜ばれ、内なる祝福にて完全であられる主に、彼らはそれぞれ、太陽神に火を捧げるように、恭しく贈り物を持っていきました。喜びに顔を輝かせた彼らは、全ての者の友であり、かつ守護者である主に、まるで父に語りかける子供のように、喜びに声を詰まらせてこう語ったのです。(1〜5)
『 主よ、あなたの蓮華の御足に、私たちは永遠に頭を下げるでしょう。あなたは、ヴィリンチ(ブラフマー神)、ブラフマー神の息子(シヴァ神)、神々の王(インドラ)、彼らでさえもが崇める御方で、祝福を求める者の最高の安息地、カーラの領域をも超越した、最高の支配者であられるのです!
ああ、宇宙の創造者よ、どうか私たちの幸福を、もっと今以上に高めてください。あなたは私たちの母であり、私心なき友、そして王であり、また父なのです。いえ、あなたこそが真の教師、最高の神なのです。あなたに仕えることで、私たちは祝福に満たされたのです。
王としてあなたを崇める私たちは、何と幸運なのでしょう。天国に住む神々でさえ見られぬ、全ての魅力の宝庫、愛しきお姿、笑みと愛に満ちたそのお顔を、私たちは眼に出来るからです。
蓮の眼をされる主よ、あなたが友や親族に会う為、クル(ハスティナープラ)やマドゥの都(マトゥラー)に出かけられる間、あなたがおられぬその一瞬一瞬は、私たちにはまるで何万年にも感じられて、ああ、アチュタよ、太陽が見れなくなった眼のように、まことに惨めな気持ちとなるのです!
』
これらドワーラカーの民の称賛を聞くと、ご自身の信者を愛される主は、眼で全ての人に慈悲を与えながら、都へ入っていかれたのです。(6〜10)
ボーガヴァティー(パーターラの首都)の都がナーガ(どんなものにも姿を変えれる蛇族)に守られるように、ドワーラカーの都は、ヤーダヴァ族を構成する、互いに拮抗する力を持った、マドゥ、ボージャ、ダシャーラ、アラ、ククラ、アンダカ、ヴリシュニなどの部族にて守られていました。
都には無数の蓮の湖があり、それらの周囲は、季節毎に豊かな実を実らせる、聖なる樹や木陰が生い茂った、果樹園や庭園、公園で囲まれていました。
都の門や王宮、大通りは、祝祭の花綱で飾られており、様々な形や意匠の旗や垂れ幕が、都のあらゆる所ではためき、風に揺れるその布先は、あちこちで太陽の光を遮るのでした。
主要道路や街路、市場、そして邸宅の中庭などは美しく掃き清められ、そこには香りの付いた水がまかれて、果実や花、籾米、新芽が、一面に散りばめられていました(主を迎えて蒔かれた)。
また都に建ち並ぶ家々の入り口には、カード(ヨーグルト)や籾米、果物、砂糖キビ、さらに水壷、供え物、お香、灯明などが飾られていたのです。(11〜15)
気高き心のヴァスデーヴァ(クリシュナの父)、アクルーラ(クリシュナの従兄弟)、ウグラセーナ王(クリシュナの母方の大叔父)、驚くべき武勇の持ち主ラーマ(バララーマ、クリシュナの兄)、プラデュムナ、チャールデーシュナ(ルクミニーの息子)、ジャーンバヴァティーの息子サーンバ、彼らは最愛のクリシュナが帰ってきたと聞くや、湧き上がる喜びに有頂天となり、寝台や椅子から飛び上がって、食事も途中で止めてしまうほどでした。
彼らは感動に心をときめかせ、喜びと敬愛の念に満たされて、威厳溢れる象を先頭に(吉祥の印として)、手には吉祥な品々を携えて馬車に乗るや、法螺貝とトランペット、ヴェーダの朗詠が響き渡る中、祝福の讃歌をブラーフマナに歌わせながら、主に会おうと出かけていきました。
何百人もの美しき娼婦たちは、頬を耳飾りの煌めきで輝かせながら、主を一目見ようと、籠に乗って急いで出かけていきました。
俳優や踊り子、歌手、賛辞者、吟遊詩人や宮廷詩人らは、ウッタマシュローカ(クリシュナ)の偉業を声高らかに誉め称えました。
そして主はご自身の親族や従者、さらに市民には、それぞれに相応しき態度で接して、心からの思いやりを彼らに示されたのです。
主はパリヤ(下層階級者)に至るまで頭を下げて喜ばせ、皆の手を胸に握りしめ、笑みと愛しき表情を顔に浮かべて、彼らから礼儀正しき言葉を受け取られると、人々が望む恩寵を、それぞれに授けられました。そして年長者やブラーフマナ、その妻たち、また老いた市民や賛辞者たちが、心からの祝福の言葉を述べるや、それらを歓迎され、その後、都の中に入っていかれたのです。(16〜23)
クリシュナが都の大通りを進まれると、ああ、シャウナカよ、ドワーラカーに住む、高貴な家柄の女性までもが、家の屋上にまで駆け登り、ただひと目でも素晴らしき主のお姿を見ようとしました。
主アチュタの胸は、シュリー(ラクシュミー)の住処であり、主のお顔の表情は、見る者全てにとってはアムリタでした。さらに主の腕は、諸世界の守護神が宿る場所で、主の蓮華の御足は、ミツバチのような信者の家でした。そのように主の身体の全ては、優雅さと気品の体現だったのです。それゆえドワーラカーの人々は、主を毎日見たとしても、決して見飽きることがなかったのです。
黄色い外套を着られて、ヴァナマーラーの花輪で飾られた主は、上には純白の傘を広げられ、両横からはチャウリで風を送られて、周囲には多くの花が散りばめられ、それはあたかも太陽に輝く雲のようで、二つの月が周りを巡り、四方では星が瞬き、虹と稲妻にて照らし出されるその様子は、まことに眼には眩しく、美しく道の上で輝いておられたのでした。(24〜27)
主ははじめに両親の住む宮殿へ入られると、デーヴァキーなどの七人の母に、深々とお辞儀をされました。そして母である彼女らは、主を自分たちの胸に抱きしめるのでした。
膝に息子(クリシュナ)を載せた彼女らの胸からは、愛情のあまり乳が流れ始めて、非常な喜びに我を忘れた彼女らは、主を涙で濡らしたのでした。
その後、主は御自身の宮殿の中へ入って行かれました。そこでは一万六千人余りもの妻の為に、それぞれ立派な館が建てられ、その中では他に比較することも出来ぬ、全ての設備が施されているのでした。
長きにわたり国を離れていた主を、彼女らは遠くから見つけると、非常な喜びに満たされ、もはや心で主を思うことや(眼の前におられるから)、それまで守っていた苦行の誓いをも投げ捨て、眼や顔を恥ずかしげに赤らめて、直ちに席から立ち上がったのです。
心を愛で満たした彼女らは、主を自分たちの心で、そして眼で、さらに自分たちの身体、最後に子供たちを通して(息子として生まれるのは父その者だと考えられていた)、抱きしめたのでした。慎み深き心ゆえ、眼の隅に涙をこらえたものの、もはや感情を抑えきれずに、ああ、ブリグの最高者(シャウナカ)よ、彼女らは思わずその涙をこぼしてしまうのでした。
主はいつも彼女らとともに過ごされましたが、彼女たちにとっては、主の御足は常に新鮮な魅力を放っていました。移り気で知られるシュリー(富の女神ラクシュミーは一か所に留まることはないとされる)でさえ、ただ一瞬とて捨てがたきその御足を、愛さずにおれる女性などがいるでしょうか?
ひと吹きの風が竹藪すべてを燃やすように、クリシュナは、地球に重荷となった王子らを、互いに戦わせることで、その軍勢もろとも殲滅されました。しかし主ご自身は武器を持たぬという誓いを守り通され、御降誕の目的を果たすや、その後、全ての活動を停止されたのでした。
その同じ主は、遊戯として物質界に肉体を持たれ、何千人という魅力的な女性の間で、まるでこの世的な人間のようにして戯れられたのです。
主への深い愛情を表す、誠実で愛らしき彼女たちの微笑み、そのはにかんだ様子は、世界の征服者(愛の神)の気をも失わせ、その手から弓を落とさせるほどでした。けれども、女性の中の宝石のような彼女たちでさえ、その艶めかしき仕草によっても、主の心の静寂を乱すことは出来なかったのです。
主が自分たちと同じように活発に行動する様を見て、世間の人々は愚かさゆえに、全く無執着であられる主を、執着にまみれた普通の人間と見なします。
主を避難所とする者の心は、プラクリティの中に住したとて、決してプラクリティのグナに穢されぬように、プラクリティ(物質)の中に留まりながらも、決してプラクリティのグナの支配を受けないことにこそ、全能の主の神性が存在するのです。
これら愚かな女性たち(クリシュナの妻たち)は、主の偉大さに少しも気づくことなく、まるで偽りの自我が、神は自分たちと同じ性質を持つのだと考えるように、主を、家の中で自分たちへの奉仕に専念する、尻に敷かれた従順な夫と見ていたのでした。(28〜39)
(第一巻第十一話の終わり)
(校正終了)
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