シュリーマド・バーガヴァタ・マハープラーナの栄光 
(パドマ・プラーナより)

この巻は、バーガヴァタ・プラーナが如何に素晴らしいものかを讃えるもので、マハープラーナのひとつ、パドマ・プラーナに含まれており、第一話から第六話まであります。

 

 第一話  ナーラダとバクティの会話
 
 サッチダーナンダ(全ての真実、意識、祝福)の体現に栄光あれ。この宇宙を創造、維持、そして破壊され、三重の苦しみ(個人の肉体、心から起こるもの。他の生物にて起こるもの。自然災害にて起こるもの)を終わらせる、かのクリシュナの栄光を、我々は声高らかに歌わん。(1)
 
 我が子シュカはいまだ聖紐式を終えず、何一つこの世的、宗教的義務を果たすことなく、隠棲者として生きんと旅立つのを見て、ヴェーダヴィヤーサは別離の悲しみから、「 おお、息子よ! 」と叫ばれた。その時シュカに代わって返事をしたのは、彼の存在に満たされた木々だったのだ(父の心から父子の愛を除くため)。宇宙の大霊と一体になられて、全ての生き物の心に入られる、かの若々しき聖仙シュカに礼を捧げる。(2)
 
 アムリタの如き主の物語を楽しむ、ナイミシャの森(ナイミシャーランヤ)に住む聖仙シャウナカは、高尚な智慧を持つスータにお辞儀をして、このように言ったのだ。(3)
 
 ― シャウナカは問うた ―
 おお、スータよ、無知の闇を消し去る、幾百万もの太陽の光を持つ方よ、耳にはアムリタの如き、主の物語の最高部分を、どうか私たちに聞かせてください。
 バクティ(信愛)、ジュニヤーナ(知識)、ヴァイラーギャ(離欲)、それらにて培われる識別の力が、如何にして主ヴィシュヌの信者に育ち、また如何にして心から妄想や無明などを、彼らは除くことが出来るのでしょう?
 この恐ろしきカリの時代では、ほとんどの人が邪悪な心に支配されています。五重の苦しみ(無知、自己中心、愛好、嫌悪、死の恐れ)に悩まされる彼らを浄化する王道とは、一体何なのでしょうか?
 永遠の祝福へとつながる最高の手段を、最高の浄化具であり、クリシュナの獲得に通じるその方法を、どうか私たちに教えて欲しいのです。
 チンターマニ(全ての願望を叶える宝石といわれている)と言えども、この世の喜びを満たすだけのこと。願望を叶える天界の樹も、天国の富を授けるだけなのです。しかし素晴らしき教師は、もし弟子が望むなら、ヨギーでさえ得難き、ヴィシュヌの国、ヴァイクンタを獲得する資格を、彼に与え得ると言われるのです。(4〜8)
 
 ― スータは答えた ―
 シャウナカよ、確かにあなたの心は主への愛で満たされている。それゆえ、確立された結論の全てを熟慮して、その精髄をあなたに披露しましょう。サンサーラ(輪廻転生)の恐怖を吹き払い、バクティの思いが押し寄せてきて、さらに主クリシュナが満足される、そのような道を、あなたに伝えましょう。どうか心して聞いてください。
 「 シュリーマド・バーガヴァタ 」の名で知られるこの聖典は、「 時 」という蛇に咬まれた人々の恐怖を根絶する為、カリの時代に、聖仙シュカによって説かれたものです。心を浄化する手段として、これ以上に相応しきものは、世界のどこにも見あたらないでしょう。過去世にて積んだ功徳がある時にのみ、人はシュリーマド・バーガヴァタを聞く機会が得られるのです。
 この聖典をパリークシット王に講義する為、聖シュカが聖仙らの集いの中で席に着いた時、アムリタの壺を手に持った神々が、実際に肉体を持ってその場にやって来たのでした。
 自らの目的を果たすことに巧みな神々は、合掌して聖シュカにこう言ったのでした。『 どうかあなたはこのアムリタをお受け取りください。その代わりに私たちは、アムリタの如き、あなたのお話を頂きたいのです。
 もし叶えて頂けるなら、パリークシット王には、この天界の飲み物をたらふく飲ませてあげましょう。その代わりに、私たち全員は、このシュリーマド・バーガヴァタというアムリタを、心から味わいたいのです 』
 《 神々の飲み物とこの聖典とを比較するとは、まるでガラス玉と高価な宝石を比べるようなものではないか! 》このように考えて、ブラフマンの知識を体現する聖シュカは、その時、神々の意見を笑い飛ばしたと言われます。
 彼らは主の献身者でないと考えた聖シュカは、聖典の講義というこのアムリタを神々に渡しませんでした。このように、シュリーマド・バーガヴァタは神々にとってさえ貴重なものなのです。(9〜17)
 
 かつてブラフマー神は、パリークシット王がそのようにして解放されたこと(シュリーマド・バーガヴァタを聞くことで)を見て、非常に驚きました。そしてその不生の神(ブラフマー神)は、サティヤローカ(ブラフマー神の住処)にて、様々な宗教的教えを秤にかけて比較してみたのです。
 すると驚くべきことに、一方に他の全ての教えを載せても、このシュリーマド・バーガヴァタには、それらは全く叶わなかったのです。これを見た多くの先見者らは、非常な驚異に満たされたのでした。
 彼らはその結果、バーガヴァタの聖典を、カリ・ユガにおける、主ご自身の体現と考えるに至りました。そしてただ単にそれを読み、聞くだけで、最も早くヴァイクンタ(ヴィシュヌの国)に到達しうると結論したのです。
 この物語の始めから終わりまでを、七日のあいだに聞くなら、その人は疑いもなく解放を手に出来るのです。最初この物語は、心優しき聖仙、サナカ兄弟から、神仙ナーラダへ語られたものでした。
 このシュリーマド・バーガヴァタを、ナーラダ仙は既にブラフマー神から教えられていましたが、七日間で聞くという方法は、ブラフマー神の息子ら(サナカ兄弟のこと)から始めて明かされたのです。(18〜22)
 
 ― シャウナカは問うた ―
 ナーラダ仙は世界のもめ事を調停して回り、それゆえ決して一カ所に留まることがありません。なのにどうしてあの御方は、シュリーマド・バーガヴァタを聞く方法に関心を持ち、どこでサナカ兄弟に会われたのでしょうか?(23)
 
 ― スータは答えた ―
 私を熱心な弟子と見なした聖仙シュカが、個人的に教えて下さった、バクティに関するその逸話を、これからあなた達にお話ししましょう。
 かつてその昔、その四人の罪なき聖仙(サナカら)は、サットサンガ(聖者と親睦を深めること)の為に、バダリカーシュラマへとやって来たことがありました。彼らはそこで偶然にも、神仙ナーラダと会われたのです。(24〜25)
 
 ブラフマー神の息子たち(サナカたち)は言いました。
 『 アートマンを悟られた聖者よ、どうしてそんなに浮かぬ顔をしているのです? あなたが悩まれるとは、一体どうしたことでしょう? そんなに急いで、あなたはこれからどこへ行こうとされ、又どこからやってきたのです?
 今のあなたは、まるで全財産を無くした人のように、ひどく落ち込んでいます。そんな様子は、全ての執着を捨てられたあなたには、全く似つかわしくないでしょう。どうかよろしければその理由を、この私たちに教えてくださいませんか? 』(26〜27)
 
 ナーラダ仙は答えました。
 『 私は宇宙の中で、この地球が一番素晴らしい場所と知り、ここにやってきたのでした。そしてプシュカラ、プラヤーガ、カーシー、ゴーダーヴァリー(ナーシカ)、ハリドワーラ、クルクシェートラ、シュリーランガム、セーツバンダ(ラーメーシュワラム)などの聖地を、私は訪ねて回ったのです。けれども、これら巡礼地を訪れても、心はどこにも喜びを感じなかったのです。この地球は今や、アダルマ(不正義)の協力者、カリによって苦しめられているのです。
 もはや地上には、真実、苦行、(心と肉体の)純潔、憐れみなどはなく、寛大さも見あたりません。人々はひどく惨めとなり、ただ腹を満たすことに命を費やし、偽りの証言をするばかりです。
 彼らは遅鈍で、まことに理解が鈍く、不運で、苦しみに喘いでいます。人々は聖人のようにふるまって、たえず間違った教義を説くのです。この世を捨てたふりをする者が財産をたらふく貯め込み、所帯さえ持っている始末です。
 家の中は女性が取り仕切り、妻は自分の兄弟にしか相談を持ちかけません。人々は貪欲さから、自分の娘まで売るのです。そして夫と妻の間にはたえず喧嘩が生じているのです。
 隠棲所や巡礼地、聖なる河は、全て異邦人の手によって管理され、多くの寺院を、悪人どもが破壊し尽くしました。
 もはやヨギーや、完成に至った人などはおらず、悟った人や、ダルマを為す人もいないでしょう。全ての宗教的教えは、今やカリ・ユガの野火に焼き尽くされたかのようです。
 このカリの時代では、人々は食べ物を売ることに従事し、ブラーフマナはヴェーダの知識を売り、女性は身体を売って、生活の糧を手にしているのです。(28〜36)
 
 地上を巡り歩いて、あちこちでカリ・ユガの悪を見た後、最後に私は、主クリシュナが戯れられた聖地、ヤムナーの岸辺にやってきました。
 そこで私は驚くべき光景を眼にしたのです。偉大な聖仙方よ、どうかそれを聞いてください。そこには、ひどく落ち込んで座る、一人の若い女性がいたのです。
 彼女の側では二人の老人が、荒々しく息をしながら、意識のないまま横たわっていました。その若い女性は、何とか彼ら二人に意識を取り戻さそうと、懸命に介抱して、時には泣いたりしていたのです。
 彼女は守護者(主)を探して自分の周囲を見回し、その周りでは何百人という女性が、風を送って、幾度も彼女を勇気づけていたのでした。
 私は遠くからこの様子を見て、好奇心を抱き、その少女に近づいていきました。彼女は私を見て立ち上がると、心を取り乱して、次のように話したのです。(37〜41)
 
 少女は話しました。
 「 ああ、敬虔なる御方よ、しばらくここにいてください、そして私の悩みを解決して欲しいのです。あなたの姿を見る事こそが、世界の罪を消し去る、最高の方法なのです!
 あなたが助言して下さるなら、きっと私の悩みは癒されるでしょう。人は大いなる幸運がある時にのみ、あなたの姿を見ることが出来るのです 」と 』(42〜43)
 
 ナーラダ仙は言いました。
 『 あなたはいったい誰なのでしょうか? そしてこの二人とあなたとは、どういう関係なのでしょうか? またあなたの側にいる、蓮華の眼をしたこれら少女たちは、果たして誰なのでしょう? 敬虔なる女性よ、どうかあなたの悲しみの原因を、詳しく私にお話しください 』(44)
 
 少女は答えました。
 『 私はバクティ(信愛)の名で知られる者で、この二人は私の息子達なのです。彼らの名前は、ジュニャーナ(知識、悟り)とヴァイラーギャ(離欲)といい、時が経つうちに彼らは疲れ切り、このように年老いてしまったのです。
 またこれら少女達は、女神ガンガーとその仲間で、私に仕える為に、こうして集まって下さったのです。けれども、こうして天界の乙女たちに良くしてもらっても、私には幸福は訪れないのです。
 ああ、苦行を積まれた聖者よ、どうか心を傾けて、私の話をお聞きください。話は長くなりますが、それを聞いて、この私に慰めを与えて欲しいのです。(45〜47)
 
 元々私はドラヴィダ国に生まれ、カルナタカで成長しました。私はマハラシュトラのどこででも尊敬を受けて、グジャラートで年頃となったのです。
 けれども恐ろしきカリの時代が到来すると、私は異端者に損なわれてしまい、そうした状態が長く続くや、弱々しくなった私は、息子たちとともに、活力を失ってしまったのでした。
 ところが、ヴリンダーヴァナにやってきたところ、私はかつての自分を取り戻し、このように美しい姿となることが出来たのです。愛らしい容姿となって、再び若い少女に戻ることが出来たのです。
 けれどもここに横たわる二人の息子は、消耗ゆえに苦しんだままです。私はもうここを離れて、他の場所に行きたいと思うのに、それも叶うことがありません。
 私の息子たちはこんなにも年老いてしまい、この苦難に私は悲しんでいるのです。どうして母である私が若くあり、息子たちが年寄りのままなのでしょう?
 今まで私たち三人は、とても仲良く暮らしてきたのに、どうしてこんな不思議なことが起こったのでしょう? 普通、母の方が年老いて、息子たちは若いはずではありませんか。
 私の心は驚きに満たされて、ひどく悲しんでいます。ああ、聖仙よ、ヨーガの宝庫たる御方よ、この原因はいったい何処にあるのか、それを私に教えて欲しいのです 』(48〜54)
 
 ナーラダ仙は答えました。
 『 あなた達の悲劇とその原因は、私の直覚の力によって、しっかりと心で理解できました。罪なき御方よ、そのように落胆すべきではありません。必ずやシュリー・ハリが、あなたに幸福を授けて下さるでしょう! 』と。(55)
 
 ― スータは続けた ―
 偉大なる聖仙ナーラダは、一瞬のうちに全ての事情を理解して、次のように言ったのです。(56)
 
 ナーラダ仙は言いました。
『 ああ、うら若きご婦人よ、どうか心してお聞きください。現在は恐ろしきカリの時代なのです。その影響により、ダルマの行為、ヨーガの道(神との結合)、そして苦行、それら全てが、この世から消えてしまったのです。
 詐欺と悪の行いを為すことで、人々は悪魔アガ(第十巻に登場)の生き写しとなっているのです。この時代、正しき者は失意落胆し、不正義な人間が喜びに満たされるのです。堅固な心を持ちうる賢き者は、よく学び、智慧あるような者だけでしょう。
 この地球は、年を追うごとに主シェーシャに重荷となっています。もはやそれは見るに値せず、触れる価値もありません。そして好運の徴など、もはやどこにもないのです。
 あなたとあなたの息子たちの存在に気づく人など、今やどこにもおりません。人々は楽しみを追い求めてあなた達を無視し、その結果、あなた達はそのように衰弱してしまわれたのです。
 ところがこのヴリンダーヴァナの地に来ることで、あなたは再び若く、生き生きと甦られました。バクティが喜びに踊るこのヴリンダーヴァナこそ、賞賛に値する地といえるでしょう。
 しかしこの地では、あなたの息子たちを必要とする人はいない為、彼らは年老いた様を捨てられなかったのです。彼らがこんこんと眠るのは、主と接することができた、彼ら自身の満足ゆえだと、私にはそう思えるのです 』(57〜62)
 
 バクティは言いました。
 『 どうして不信心なカリが、この世界に住むようになり、そしてカリの時代が始まるや、どうして全ての存在から、価値ある要素が消えていったのでしょう?
 慈悲深くあられるハリは、どうしてかくも忍耐強く、この不正義に耐えておられるのでしょう? どうかこの私の疑問にお答えください。お話し頂ければ、身に余る喜びでしょう! 』(63〜64)
 
 ナーラダ仙は言いました。
 『 ああ、うら若きご婦人よ、そのように聞かれるなら、全てお話ししましょう。祝福されし御方よ、どうか敬虔な気持ちで聞いてください。そうするなら、弱気となったあなたの心は、きっと癒されることでしょう!
 ムクンダ(クリシュナ)がこの地上を離れて、ご自身の世界に帰られた、まさにその日に、全ての宗教的修行を邪魔する、カリの時代が始まったのです。
 パリークシット王は世界征服の旅をしている途中、カリ・ユガの霊と遭遇したことがあったのです。その時、その霊は哀れな者のようにふるまって、王に助命を請うたのでした。パリークシット王は全てのものから、まるで黒蜂のようにその精髄を集めるという、まことに善良な性格であった為、心の中でこう考えたのです。
 《 確かにこの者は、私によって殺される必要などないだろう。何故ならカリの時代では、ケーシャヴァ(クリシュナ)の御名と栄光を唱えるだけで、苦行や心の集中、深い瞑想では得られない、そんな功徳を、人々は手に出来るからなのだ 》と。
 カリの時代には何一つ実体がなきものの、ただこの唯一の価値だけがあると考えて、この時代に生まれた人々の幸福を思い、ヴィシュヌラータ(パリークシット)はその霊に、この世に留まることを許したのでした。(65〜69)
 
 今の時代、邪悪な行為が為されることで、全てのものからその本質が消えていきました。皮だけが残る穀物のように、地上の全てはその真実を失ってしまったのです。ブラーフマナ達が、穀物への飽くなき貪欲の為、あちこちで主の物語を繰り返した結果、この物語の価値も消えてしまいました。
 狂気に満ちた種々のわざを為す者、不信心な輩、野蛮人、そんな人々が巡礼地に住んだ為、それら聖地の価値も消えました。
 激情や怒り、過度の欲望、楽しみへの渇望、それらに心を占められた人でさえもが、見せかけだけの苦行を行った為、苦行の価値も無くなったのです。
 人々は心を管理することなく、貪欲で偽善に満ち、また異端の宗教を信じて、聖典の学修を行わない為、ディヤーナ・ヨーガ(瞑想)も、その成果をあげなくなりました。
 パンディット(聖典を学ぶ者)はまるで水牛のように、妻と性交に勤しんでいます。彼らは子供を作ることに熟練して、魂の解放には全く無知なのです。
 特定の宗派の伝統に従ったヴィシュヌへの信仰など、もはやどこにも見あたりません。このように、物事から全ての本質が失われてしまったのです。
 しかし、このようなことは、実際のところ、私たちが住んでいる、この時代の精神なのです。それに対して、果たして誰を責められるでしょう? それゆえ蓮の眼をされる主(ヴィシュヌ)は、私たちのすぐ側(心の中)に居られながらも、このことに黙って耐えておられるのです 』(70〜77)
 
 ― スータは続けた ―
 ナーラダ仙の言葉に驚いたバクティは、もう一度、次のように言ったのです。シャウナカよ、どうかそれを聞いてください。(78)

 バクティは言いました。
 『 ああ、天界の聖仙よ、あなたはまことに祝福されし御方なのです! あなたがここに来られたとは、何というわが身の幸いでしょう。この世においては何を為すにも、気高き御方を見ることこそが、その最高の手段なのです。
 ブラフマー神の息子様よ、全ての祝福を受けられる御方よ、あなたに私は礼を捧げましょう。ただ一度あなたが教えたことを守って、カヤードゥーの息子(プラフラーダ)はこの世でマーヤーを克服し、王子ドゥルヴァもまた、あなたの御慈悲によって、永遠の住処を手に入れたのです! 』(79〜80)
 

(第一話の終わり)

(校正終了)

ホーム  



「バーガヴァタ・プラーナ クリシュナ神の物語」本の案内

プラーナの栄光 1巻 2巻 3巻 4巻 5巻 6巻 7巻 8巻 9巻 10巻1 10巻2 10巻3 10巻4 11巻 12巻 おまけ

クリシュナ神の物語・「バーガヴァタ・プラーナ」