クリシュナ神の物語

  バーガヴァタ・プラーナ 第二巻

第二巻は、第一話から第十話まであります。

 第二巻第七話
  主の降誕の遊戯 
 
 ブラフマー神は続けました。
 「 無限の主が、全ての祭祀を顕す野猪(ヴァラーハ)となられて、地球を海の底からすくい上げた時、その広大なる海の中で、悪魔ヒラニヤークシャと邂逅されたのだ。そしてインドラが山々の峰を刈り取ったように、主は牙で彼を裂いて殺されたのだった。(1)
 
 次いで主は、ルチ(プラジャーパティの一人)とその妻アークーティ(最初のマヌであるスワーヤンブヴァの娘)の間から、スヤジュニャ(最初のマンヴァンタラにおけるインドラ神となった。ヤジュニャと同じ)として降誕され、妻ダクシナーとの間に、スヤマという称号を持つ神々をもうけられた。三界の苦難全てを取り除いた時、主はハリ[苦難を除く者]という名を、スワーヤンブヴァ・マヌから与えられたのだ。(2)
 
 ナーラダよ、主は次に聖仙カルダマ(プラジャーパティの一人)とその妻、デーヴァフーティとの間から、九人の姉妹とともに、一人の息子(カピラ)として降誕され、アートマンの神理を、ご自分の母に伝えられたのだ。そして母デーヴァフーティは、心を汚していた物質界への執着を完全にぬぐい去り、まさにその人生において、カピラの境地(解脱)を得たのだった。(3)
 
 ご自身を息子と求めた聖仙アトリ(最初のマンヴァンタラにおける七人の聖賢の一人)に、主は非常に満足され、「 私があなたの子供として生まれよう 」と言われた。それゆえ主は「 ダッタ 」の名で知られるようになったのである(主ダッタートレーヤ)。ヤドゥ、サハスラバーフ(ハイハヤという称号を持つクシャトリヤ族)、その他の王たちは、主の蓮華の御足の塵にてその身を清め、ヨーガにおける二重の達成(喜びと解放)を獲得したのであった。(4)
 
 創造の夜明けに私ブラフマーは、多様な世界を創造しようと苦行を実践した。その時、永遠の主は、全員がサナという名を含む、四人の兄弟の姿(サナトクマーラ、サナカ、サナンダナ、サナータナ)となって、私の前に出現されたのだ。そして彼らは、先のカルパ(劫)の終末の大帰滅(プララヤ)にて失われた、アートマンの真実を、このカルパの始まりに詳述され、聖仙たちはその全てを、自分たちの心に保持したのだった。(5)
 
 主はダクシャの娘でダルマの妻、ムールティから、苦行では誰も叶わぬ双子の聖仙、ナラとナーラーヤナとしてこの世に降誕された。カーマ(愛の神)の軍勢とアプサラスが彼らを籠絡せんとした時、そこに彼らがヨーガにて生み出した、自分たちをも凌駕する美しき妖精(ウルヴァシー)を見た為、彼ら双子の聖仙に、禁欲の誓いを破らせることが出来なかったのだ。
 信心深き者(シヴァのような)は、愛の神を怒りの炎で燃やすかも知れない。しかし自分達をも燃やす怒りの炎を、彼らは燃やすことが出来なかったのだ。怒りがナラとナーラーヤナの心に入り込めぬなら、どうして性欲が彼らの心を貫けよう?(6〜7)
 
 父ウッターナパーダ王の前で、刺すような義母スルチの言葉に傷ついたドゥルヴァは、まだ子供にも関わらず、厳しい苦行をするため、森へと旅立ったのだ。そして彼が唱える讃美に喜ばれた主は、北極星という永遠の住処を彼に与えられ、今日に至るまで神々はその周りを回りながら、彼を讃美し続けているのである。(8)
 
 正道を逸れたヴェーナ王(ドゥルヴァの子孫)は、持つ全ての力と幸運を、ブラーフマナの呪いにて焼かれ、今にも地獄へ堕ちんとした。その時ブラーフマナが祈るや(ヴェーナの死体を摩擦して)、主はプリトゥとしてその姿を現され、父のヴェーナを救われたのだ。そしてこのことゆえ、主はプトラ(息子)という名を与えられたのである。またその同じ主は、地球を乳牛とすることで、全世界の為、穀類などの産物を生ませたのであった。(9)
 
 さらに主は、ナービ王とその妻スデーヴィー(メールデーヴィー)の子、リシャバとして降誕されて、全ての執着を捨てて心と感官を制圧し、自らの精神的本質に自己を確立された。さらに主は全てを平等に眺め、不断の瞑想を行われて、かつ愚か者のように振る舞われたのだ。これこそが多くの先見者らから、パラマハンサと呼ばれる、最高の悟りの境地なのである。(10)
 
 祭祀において崇められ、それを支配される主は、私ブラフマーの祭祀において、ハヤグリーヴァ(馬の頭を持つもの)としてお顕れになった。ヴェーダの人格たるその身体は、黄金色に光り輝き、全ての祭祀、全ての神々をその身に顕されて、鼻孔からは呼吸する度に、神聖なるヴェーダが放出されたのだ。(11)
 
 宇宙崩壊の間(六番目である、チャークシュシャ・マンヴァンタラの終わり)、未来のマヌ、サティヤヴラタ王は、神聖な魚の姿となった主を見た。自らが船となることでその魚は地球を支えて、生きもの全てを保護されたのだ。そして私の口よりこぼれ落ちたヴェーダを拾い上げると、主は次の創造までを、その海の中で戯れられたのだ。(12)
 
 不死なる者(神々)とダーナヴァ(悪魔)が、アムリタを求めて乳海を攪拌した時、最高神は神聖なる亀の姿となられて、その背でマンダラ山を支えられたのだ。背中で山が回転するにつれ、摩擦にて痒みを鎮められた主は、思わずうたた寝をされたのであった。(13)
 
 神々の恐れを吹き消すため、主は絶えず動く眉と顎の恐ろしき、人獅子(ナラシンハ)として姿を顕された。鎚矛で悪魔の王(ヒラニヤカシプ)が攻撃をしかけたものの、主は彼をつかまえて膝に載せると、身もだえして逃げんとする彼の腹を、その爪で裂いて殺されたのだ。(14)
 
 あの名高き象(象たちの王)は湖の中で、恐ろしき力を持つ鰐に足を捕まえられ、やがて困り果てるや、その背で蓮を持ち上げて(供物として捧げる為)、こう叫んだのだ。『 おお、太初のプルシャよ、全世界の保護者、名高き聖なる主の神よ、その御名は、聞くにはまことに吉祥なる方よ! 』と。
 彼の祈りを聞かれた無限の主、シュリー・ハリは、名高き円盤スダルシャナを手に、ガルダの背に乗って飛んで来られ、円盤で鰐の首を切り落とすと、助けを求めた象の背を優しくつかんで、その苦境から救われたのだ。(15〜16)
 
 アディティの十二人の息子のうち、ヴィシュヌは最も若かったが、美徳の点では最高であった。土地を捧げるとバリが約束した瞬間、その歩みで三界を闊歩したことより、それは明らかである。矮人の姿をされる主は、三歩で歩けるだけの土地を欲しいと申し出て、バリから地球を取り戻されたのだ。そしてダルマの道に固執する者は、懇願されることの他には、全能なる者によっても倒され得ぬことを、全世界に示されたのだった。
 親愛なるナーラダよ、神々の帝王たるインドラの地位、これはバリ王の求めたものではなかった。宇宙を三歩で歩かれた、その主の御足を洗った水の器を、彼は頭の上に置き、自分が誓ったことの他を為そうとせず、ハリの御足の下に頭を置いて、自分の身体を主に捧げたのである。(17〜18)
 
 ああ、ナーラダよ、あなたの信仰に喜ばれた主は、神聖なハンサ(白鳥)の姿となって顕れ、智慧とバクティをあなたに授けられたのだ。それはアートマンの真実を明らかとする灯火であり、主ヴァースデーヴァを庇護所とした者だけが、容易に手に出来るものなのである。
 主は多くのマンヴァンタラで(マヌとして顕れて)マヌの一族を守られ、スダルシャナのように妨げられぬ自身の権威を、十の方向全てに広げられよう。主の偉業にて広められたその栄光は、遙かなるマハルローカ、ジャナローカ、タポーローカ、その彼方に広がる最高天サティヤローカにまで至り、邪悪な王たちに対して(マヌの姿として)、処罰を下されるのである。(19〜20)
 
 また主はカーシーの王、ダンワンタリとして降誕され、栄光そのものの彼の名を唱えるだけで、病に苦しむ者は直ちに癒されよう。いや主は不死の座を手にされ、供儀の分与をも受け取られたのだ。そして健康と長寿の道、アーユル・ヴェーダを世界に教えたのも、また主なのである。(21)
 
 クシャトリヤがブラーフマナの敵と変わり、自ら地獄を招くようにダルマの道を捨てる時、いや、もはや世界にとっては棘以外の何ものでもないと分かる時、神々にてその絶滅が求められたのだった。その時、至上の大霊は、凄まじき武勇を持つパラシュラーマとして降誕され、手に持つ鋭き斧にて、七の三度(二十一回)にわたって、彼らクシャトリヤを殲滅されたのだ。(22)
 
 我々に絶えず慈悲を注がんが為、やがてマーヤーの主は、イクシュワークの家系に、ご自身の部分的顕現(バラタ、ラクシュマナ、シャトルグナ)を伴い、ラーマとして降誕されよう。そして父ダシャラタ王の命に従われると、シーターとラクシュマナとともに、森にて放浪生活を送られるのだ。また十の頭を持つ怪物(ラーヴァナ)は、主を敵に回した結果、やがて嘆く羽目となるであろう。
 ハラ(シヴァ神)のように敵の都を燃やさんとされて、海岸に到着されたラーマは、妻シーターとの別離に憤怒され、眼を血のように赤く染められよう。そして海に住む鰐、竜、アリゲーター、彼らはそれを見て震え上がり、海の神までもが身を震わせて恐怖し、ラーマの為に道を開けるであろう。
 世界征服の途中、悪魔ラーヴァナがインドラの象アイラーヴァタとぶつかるや、その象の牙は粉々に砕けるであろう。そして散らばるかけらであたりは白く染まり、このことに有頂天となったラーヴァナは、大笑いするであろう。しかし彼がシーターをさらって、ランカーにて両陣営の間を濶歩する時、主はただその弓を鳴らすだけで、誇らしげな彼の高笑いと生命を終わらせるだろう。(23〜25)
 
 多くの悪魔が王と生まれ変わり、その軍隊が地上を跋扈する時、主は地球の重荷を除く為、神の黒毛と白毛を表す、クリシュナとその部分的顕現、バララーマとしてこの世に降誕されよう。主はこれらの姿により、ご自身の偉大さの証明となるわざを為されるが、普通の人々にとっては、主の為されようはとても理解の及ばぬものとなるだろう。
 生まれたばかり(十日位)の赤子として、主は魔女ウルーキカー(プータナー)の生命を吸い尽くし、三ヶ月の時には荷馬車を足で飜転させ、二本のアルジュナの樹の間を這われて、それら樹々をなぎ倒されよう。これら全てのわざを、主以外の誰が為し得るであろう?
 やがてヴラジャの地に住まれる主は、ヤムナーの毒水を口にして死んだ、ヴラジャの牛と牛飼いの生命を、ただ慈悲深き眼を投げかけるだけで救われよう。そしてその水を清める為、ただその河で戯れるだけで、猛毒で舌を動かす蛇のカーリヤを、そこから追放されよう。
 同じその夜、ヴラジャの全てが死のように眠る頃、野火がイグサの森を燃やさんとするのを見て、不可知なる力を持つ主は、バララーマとともに、村人に眼を閉じるよう命じ、死から彼らを救われよう。この主の偉業こそは、まさに神業なのである。
 主の母(ヤショーダー)が主を縛ろうと手に持つ紐は、全て縛るには不十分となるだろう。いや、その牛飼いの妻(ヤショーダー)は、主があくびをされた時、十四からなる全世界をその口に見て、初めは戸惑うものの、その後、主の偉大な神性に気づくであろう。
 そして主は父ナンダを大蛇から救い、ヴァルナの綱から解放して、悪魔ヴィヨーマ(マヤの息子)が洞窟に閉じこめた牛飼いの子らを、そこから救出されよう。いや、一日中働き続けて疲れ、夜には丸太のように眠る彼らゴークラの民を、ご自身の光り輝く居所、ヴァイクンタへと連れ行かれるだろう。
 牛飼いによる奉納が中止されるや、雨の神(インドラ)はヴラジャを破壊しようと、滝のように雨を降らすだろう。しかし慈悲深き主は、牛と村人らを守らんが為、たった七歳のお年で、疲れを知らぬ手でゴーヴァルダナ山を、まるで大きなキノコのように、七日もの間持ち上げられよう。
 満月の光が照らし出すヴリンダーヴァナの森で、主は遊戯を為さんと欲せられて、ラーサダンスの前奏曲として、甘く長き調べを、横笛にてその口から奏でられよう。牧女らはその音色にて愛の炎を心に点され、森の中へと呼び集められよう。ラーサダンスの時、ゴーピーたちをクベーラの従者(シャンカキューダ)がさらうや、主は彼女たちを救い出して、その悪魔の首を刎ねられよう。
 悪魔のプララムバ、デーヌカ、ヴァカ、ケーシー、アリシュタ、また格闘家のチャーヌーラたち、象のクヴァラヤーピーダ、カンサ、ヤヴァナ族の英雄(カーラヤヴァナ)、悪魔ナラカ、パウンドラカなど、さらにシャールヴァなどの闘士、ドウィヴィダ(猿の王)、バルワラ、ダンタヴァクトラ、七匹の雄牛(ナグナジト王の所有物)、悪魔シャンバラ、ヴィドゥーラタ王(ダンタヴァクトラの兄弟)、ルクミー(ルクミニーの兄)、そしてカンボージャ、マツヤ、クル、ケーカヤ、シュリンジャヤ、それら部族の王たち、さらに戦場に現れた弓を手に持つ傲慢な戦士らは、バララーマ、アルジュナ、ビーマなどの姿となられたハリご自身に殺害されて、全員が神聖なる主の世界に至るであろう。(26〜35)
 
 時が流れるや、人の知力は妨げられ、寿命もまた短くなろう。そしてもはや人々が主の教えを表すヴェーダの趣旨を理解しなくなるや、主はいつの時代もサティヤヴァティーの胎から(ヴェーダヴィヤーサとして)ご自身を顕され、ヴェーダの大樹を、多くの小枝へ分けられるのだ。(36)
 
 ヴェーダに通じてはいても、神々の敵(悪魔)である者が、マヤの造った迅速な要塞で人々を滅ぼさんとする時、主は彼らをおびき寄せるかの如く、心惑わす姿を取られ、多くの異端を語られるであろう。
 カリの終末には、もはや敬虔な者の家でもハリの話をしなくなり、再生族(ブラーフマナ、クシャトリヤ、ヴァイシャ)が異教徒となって、シュードラが人々の支配者となり、スワーハー、スワダー、ヴァシャトの言葉も、もはや聞かれなくなるだろう。その時、主はカリの懲罰者(カルキ)として、この世に姿を顕されるのだ。(37〜38)
 
 無限の武勇を持たれる主は、自らのマーヤーの栄光を、宇宙創造時には、苦行、私(ブラフマー)、九人のプラジャーパティの姿として、また維持の時代には、ダルマ(徳)、ヴィシュヌ(供儀の主宰神)、十四人のマヌ、神々、そして地球の支配者(王)として顕され、さらに帰滅の時には、アダルマ(不正義の霊)、ハラ(破壊の神)、マニュヴァシャと呼ばれる蛇族、そして悪魔などとして顕されるのだ。
 いかに眼識があろうと、また地の全ての塵を数えられようとも、果たして誰が主ヴィシュヌの力を全て列挙できようか? 主が三界を進まれ、その御足を持ち上げた時、プラクリティの最外殻から、遙かなる最高天サティヤローカまでが、抗い難きその力ゆえ、激しく揺れ動いたのだ。なぜなら、主がそれら全てを支えておられたからなのだ。
 おお、ナーラダよ、マーヤーでさえその力の一つである、無数の力の宝庫たる主の真実の全てを、私やあなたの兄たち(サナカなど)でさえ知ることはない。ならば他の誰が主を理解できるであろうか? 千の口をもつ最初の神、主シェーシャは、永遠に主の栄光を歌い続けているが、今日に至るまで主の果てに到達することはないのだ。
 企みなく、全生命をかけて主の御足に庇護を求める時、無限の主は必ずやご慈悲を示されよう。そうした者だけが、越えがたき主のマーヤーを越えて、そのマーヤーの真実を悟り得るのである。そしてもはや犬やジャッカルの餌でしかない自分の肉体を、彼らは自分自身とは、また自分のものとは思わなくなるのだ。
 親愛なるナーラダよ、かの最高存在の素晴らしき力を、私ブラフマーは知っている。それは同じように、あなたも、あなたの兄たち(サナカなど)も、主バヴァ(シヴァ神)、ダイティヤの最高者(プラフラーダ)、名高きスワーヤンブヴァ・マヌ、その妻シャタルーパー、そして彼らの息子や娘たち、プラーチーナバリ、リブ、アンガ、ドゥルヴァ、またイクシュワーク(ヴァイヴァスワタ・マヌの長子)、イラーの息子(プルーラヴァー)、ムチュクンダ、ヴィデーハ(ジャナカ)、ガーディ(ヴィシュワーミトラの父)、ラグ、アンバリーシャ、サガラ、ガヤ、ヤヤーティ(ナフシャの息子)、さらにマーンダーター、アラルカ、シャタダヌ、アヌ、ランティデーヴァなどの王、またデーヴァブラタ(ビーシュマ)、魔族の王バリ、アムールタラヤ王、ディリーパ王、そして聖仙サウバリ、ウッタンカ、デーヴァラ、ピッパラーダ、サーラスワタなど、さらにシビ王やブーリーシェーナ王、ウッダヴァ、ヴィビーシャナ、ハヌマーン、ウペーンドラダッタ(シュカ)、アルジュナ(プリターの息子)、アールシュティシェーナ、ヴィドゥラ、シュルタデーヴァなどの献身者、彼らもまた全員が主のマーヤーを知っているのだ。
 女性やシュードラ、フーナ族、シャバラ族、その他罪深き生活を送る者、主の献身者の徳を受け入れるよう命じられた、鳥や獣などの下等な生きもの、ましてやヴェーダの教えに従う者ならば、誰もが主のマーヤーの本質を悟り得て、それを超えていけるであろう。(39〜46)
 
 至上の大霊の本質は、永遠に澄みきった、恐れひとつなき、絶対意識によって形成されている。それはマーヤーによっては穢されず、多様性を持つことなく、実在と非実在からは遠くかけ離れたものなのだ。それは神聖な、または世俗の言葉にても捉えがたく、種々の宗教的原理による行動の結果をも超越するのだ。いや、マーヤーでさえその前に立つのを恥ずかしがり、逃げ出してしまうだろう。
 これらが最高者である主の本質であり、賢者はこれをブラフマンとして悟り、悲しみはなく、永遠の至福という性質を持つものである。井戸を掘る鋤を、雨を降らせる神、インドラが必要とせぬように、苦行者は主に心を固定することで、多様性を否定する手段(ジュニャーナ)をも捨て去ったのだ。
 人に行為の結果を与えるのも、また主である。なぜなら、その人の気質に従って気高き行為をさせるのは、主であるからなのだ。諸要素という姿の成分が崩壊して、肉体が消滅しても、それを貫くエーテルは滅びぬように、肉体に宿る不生のアートマンは、決して消滅することがないのだ。(47〜49)
 
 愛するわが息子よ、この宇宙を、ただご自身の意思だけで創造される主について、以上のように手短く、あなたにお話しした。原因、または結果としてあるものは、それらとは離れているものの、シュリー・ハリの他には存在しないのである。
これが主が私に満足して教えて下さった、「 バーガヴァタ 」というものである。これは主の栄光を短くまとめたもので、あなたはそれを、大きく展開しなければならないだろう。
 宇宙のアートマンであり、全ての支持者である、主シュリー・ハリへの信仰を、人々が深めることの出来るよう、あなたはこれをより深く、長い物語にしなければならないだろう。
 主のマーヤーを表そうとする者、他の者がそうするのに協力する者、または敬意を持って毎日それを聞く者、そういった人々の心は、もはや二度とマーヤーに惑わされることはないであろう 」(50〜53)
  

(第二巻第七話の終わり)

(校正終了)

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